佐藤喜左衛門
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佐藤 喜左衛門︵さとう きざえもん、1848年︵嘉永元年[1]︶ - 1899年︵明治32年︶11月5日[2]︶は、明治時代の政治家。横浜市長。
経歴[編集]
武蔵国久良岐郡北方村︵神奈川県久良岐郡本牧村を経て現横浜市中区︶に生まれる[1][3]。1877年︵明治10年︶横浜第1大区3小区戸長、1883年︵明治16年︶横浜区長心得を経て、同年久良岐郡長に任じられた[1]。ほか、大住・淘綾郡長を務めた[4]。 増田知前市長の辞職後、1890年︵明治23年︶2月の市会で商人派により横浜市長に推され、3月1日、就任した[1]。共有物事件、ガス局事件などの解決、横浜商業会議所の設立、横浜水道・十全病院・ガス局の市営移管などに尽くし、1896年︵明治29年︶3月1日、満期退職した[1]。退職後の1899年︵明治32年︶外遊先のホノルルでマラリアに罹り病没した[1]。脚注[編集]
- ^ a b c d e f 神奈川県県民部県史編集室 1983, 353頁.
- ^ 『明治過去帳』578頁。
- ^ 歴代知事編纂会 1983, 1036頁.
- ^ 『官報』第2000号「叙任及辞令」明治23年3月4日。