淘綾郡

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神奈川県淘綾郡の範囲


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187811








歴史[編集]

  • 古代律令制下では餘綾郡(よろぎぐん・よろぎのこほり)と表記された。相模国中部、大磯丘陵南側の相模湾沿岸部をその領域とする。近世以降は淘綾郡と表記することが多くなり、明治政府による郡編制の際にもこの表記が採用された。
  • 古代餘綾郡の郡衙は現在の大磯町国府本郷付近にあったと推定されている。

近代以降の沿革[編集]

  • 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が、○は寺社除地(領主から年貢免除の特権を与えられた土地)が存在。(20村)
知行 村数 村名
幕府領 旗本領 10村 ●虫窪村、●出縄村、○一色村、●国府本郷村、万田村、西ノ久保村、●高根村、○中里村、●山下村、黒岩村
藩領 相模小田原藩 3村 ○川匂村、○大磯宿、東小磯村
幕府領・藩領 旗本領・小田原藩 5村 ○寺坂村、生沢村、●西小磯村、国府新宿、●山西村
旗本領・武蔵金沢藩 1村 ●二宮村
その他 寺社領 1村 高麗寺村

41868 - 

26231869731 - 

4
7141871829 - 

111418711225 - 1

18769418 - 2

187811722 - 宿
31. 32. 33. 34.   1 - 24

18892241 - 13
  宿西

  宿西

  西

  

18962941 - [1]

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 1[2]
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 山口佐七郎 明治11年(1878年)11月18日 明治15年(1882年)3月
2 飯岡頼重 明治15年(1882年)3月 明治19年(1886年)9月
3 佐藤喜左衛門 明治19年(1886年)9月 明治23年(1890年)3月
4 増田知 明治23年(1890年)6月 明治24年(1891年)5月
5 曽根盛鎮 明治24年(1891年)5月 明治29年(1896年)3月26日 大住郡との合併により淘綾郡廃止
中郡長へ転任

脚注[編集]



(一)^ 38203931896327https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2947098/1 

(二)^  1983, 52.

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  11983 

  14198461ISBN 4040011406 

調

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