分国法

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分国法一覧[編集]

分国法 制定者 成立時期 条数 備考
大内家壁書 大内持世~大内義隆 永享11年(1439年) - 享禄2年(1529年 11ヶ条 『大内氏掟書』『大内家法』とも。
相良氏法度 相良為続相良長毎相良晴広 明応2年(1493年)- 天文24年(1555年 41ヶ条 為続が明応2年に7ヶ条を定めた後、追加法が断続的に発布され、最終的に41ヶ条となった。
今川仮名目録 今川氏親今川義元 氏親が大永6年(1526年)に制定。義元が天文23年(1553年)に追加法(仮名目録追加21条)を発布。 氏親は33ヶ条制定。義元は21ヶ条を追加。
塵芥集 伊達稙宗 天文5年(1536年 171ヶ条
甲州法度次第 武田信玄 信玄が天文16年(1547年)に制定した後、さらに追加法が発布された。 26(55)ヶ条 今川仮名目録の影響を受けている。
結城氏新法度 結城政勝 弘治2年(1556年 104ヶ条
新加制式 三好長治 永禄元年(1558年)- 元亀元年(1570年 22ヶ条 長治が篠原長房に命じて編纂をおこなわせた。
六角氏式目 六角義賢義治 永禄10年(1567年 本文67ヶ条、起請8ヶ条、追加6ヶ条 六角氏父子と有力家臣が相互に誓約し合う形態ととっている。
長宗我部元親百箇条 長宗我部元親盛親 慶長2年(1597年 100ヶ条

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脚注[編集]

  1. ^ 菅原正子 「戦国大名の 「法度」 と分国法 : 中国の法典と比較して」 『経済志林』80巻3号 法政大学経済学部学会、2013年3月、86-88頁。
  2. ^ 河野恵一 「戦国大名法研究の深化に向けた論点整理の試み」 『法制研究』81巻3号 九州大学法政学会、2014年12月、301-302頁。
  3. ^ 菅原、2013年、79頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]