この事件の起こった時期は慶応年間の1868年です。それまでは、建前的に外国諸国に対して兵庫港開港と公約しており、兵庫開港で通してた経緯があり、その後、1892年に勅命によって正式に﹁神戸港﹂の名称になるので、間違いではないと思っていますが。
勅命後の明治期には兵庫港と神戸港は区分されていたのは事実です。--Public 2009年5月25日 (月) 14:21 (UTC)[返信]
投稿時、中央のボタンを押すとプレビューできます。(詳細画像)
こんにちは。ウィキペディアへのご寄稿ありがとうございます。柴崎力栄さんが同じ記事に対して短時間に連続して投稿されているようでしたので、プレビュー機能のお知らせに参りました。投稿する前に﹁プレビューを実行﹂のボタンを押すと、成形結果を先に見ることができます。
これを使うことで
●マークアップ
●リンク
●誤字脱字
などをあらかじめチェックし、修正してから投稿していただくことにより、同じ記事への連続投稿を減らすことができます。この利点については、同じ記事への連続投稿を減らすの項目に説明がありますので、よろしければお読みください。また、ガイドブックにウィキペディア全体のことについて分かりやすく解説されていますので、あわせてお読みいただけると幸いです。--衒学者 2009年7月20日 (月) 13:29 (UTC)[返信]
>>﹁プレビュー機能のお知らせ﹂という表題のメッセージをいただきましたが、これは、どの投稿の連続に対するものなの...') ﹂>>
指摘しているのは2ヶ月前のことではありません。御自分で過去数日間の行動のどこに問題があるのかまず自身の投稿記録[1]を確認してみてください。--衒学者 2009年7月21日 (火) 09:49 (UTC)[返信]
いきなりすいませんが、目次を右側にするのはやめて下さい。はっきり言って見苦しいです。御自身の利用環境ではいいのかも知れませんが、ブラウザやパソコンの設定等が異なる環境で見ている人には違った見え方になる場合があります。--uaa 2009年8月11日 (火) 11:37 (UTC)[返信]
その件については、同意します。但し、曾禰越後守さんが海軍大学校について右側へ動かしたものも、戻されては如何でしょうか。
また、﹁日本の海洋国家論﹂については、目次の位置以外を元に戻したのは、ノートで議論した後にして欲しいです。﹁海洋国家﹂から分離した項目で﹁海洋国家﹂についての日本に就ての各論という位置づけであるはずで、加筆訂正はその趣旨の範囲内です。--rshiba 2009年8月11日 (火) 11:42 (UTC)[返信]
福沢諭吉における編集の経過やノートでの議論、当該人物の編集行動などを勘案してWikipedia:コメント依頼/塾生を提出しました。--Chichiii
2009年8月14日 (金) 10:17 (UTC)[返信]
私が誤って削除してしまった部分を戻してくださってありがとうございます。--Chichiii
2009年8月15日 (土) 13:34 (UTC)[返信]
﹁氏のみで人名を表記する文体としての統一とリンクを併存させた﹂として、私の変更を差し戻し[2]しておられます。もちろん﹁氏のみで~﹂という文体は、私も異存ありません。
しかし、項目中の初出の人物名はフルネームで記し、それ以降は氏のみで記述するのが普通であると思いますが、山県も児玉も、項目中私が修正した箇所で初めて記述されていた為に修正を加えた次第です。なお、当該箇所以降の﹁山縣有朋﹂﹁児玉源太郎﹂とのフルネーム記載を貴兄は放置しており、極めて不体裁な文体になっています。︵ご確認下さい→[3]︶
どのようなお考えなのか承りたいと存じます--Jmacs 2009年9月1日 (火) 09:52 (UTC)[返信]
- わたくしの早とちりでした。一度リバートした後、二度目に出てきた「山縣有朋」のほうを「山縣」と直しました。--rshiba 2009年9月1日 (火) 10:15 (UTC)[返信]
すみません。確認ミスでした。﹃議会制度百年史 貴族院議員名鑑﹄のトップに二人とも載っていました。但し悩ましいですね。﹁嘉仁親王﹂と﹁裕仁親王﹂として載っています。﹁嘉仁親王﹂→大正天皇、﹁裕仁親王﹂→昭和天皇、とし、リダイレクトにカテゴリーを付けるというのはルール的に可能なのでしょうか。﹁貴族院皇族議員﹂のカテゴリーを﹁嘉仁親王﹂﹁裕仁親王﹂に付しました。のちに臣籍降下する人たちも皇族時代の名前で一覧に出てくるように、同じ扱いをしたほうがいいでしょう。なお、枢密顧問官にも、(リダイレクト元の)河瀬真孝(にカテゴリー)→(リダイレクト先)石川小五郎(という項目)、という例があります。--rshiba 2009年9月16日 (水) 11:20 (UTC)[返信]
編集を拝見しました。ウィキペディアのルールにてらした扱いは詳しくないので分からないのですが,カテゴリーのページにはリダイレクト元の記事名で正常に表示されているようなので実際上問題はないと思います。お手数をおかけしました。ありがとうございました。--Zyugem 2009年9月16日 (水) 12:13 (UTC)[返信]
初めまして、kmrtと申します。偶然、柴崎さんの利用者ページを拝見いたしました。そのなかに﹁ウイキペディア弊害論﹂という新項目候補を見つけました。﹁ウイキペディア﹂を﹁ウィキペディア﹂に直してgoogleで検索したところ、1件も出てきませんでした︵検索結果 : ウィキペディア弊害論︶。百科事典の項目として一般的な名称ではない、とは存じましたが、Wikipedia:記事名の付け方のガイドラインには明記されていないようなので、立項に問題はなさそうです。ただ、﹁ウィキペディアへの批判﹂というページは日本語版含めた10の言語版で存在します。わたしの本書き込みは、非常に蛇足かつおせっかいかもしれませんが、少々興味を持ちましたので、ご参考までに記させていただきました。専門的知識をお持ちの方が参加されていることを心強く感じております。今後ともよろしくお願いいたします。--Kmrt 2009年9月17日 (木) 10:49 (UTC)[返信]
- はい。政治野球マニアさんのノートを見ていて、参議院のみ作業可能かと考えていたところです。--rshiba 2009年9月19日 (土) 06:13 (UTC)[返信]
おそれいります。肝付兼行の出自について、なのですが、小松清廉の甥だという資料が、﹃﹁さつま﹂の姓氏﹄以外にありましたのでしょうか。国会図書館にある雑誌﹁伝記﹂記載の肝付兼武伝のみで、﹃﹁さつま﹂の姓氏﹄の記載内容を退けていいものなのかどうか、判断がつきかねていたのですが、私は納得しておりません。﹃華族家系大成 ﹄で見て、ご子孫に問い合わせようかと思ったのですが、見てみましたら、お家が絶えておられるようです。果たして、解決の糸口があるかどうかはわかりませんが、できれば疑問符は張っておきたいのですが。ご存じの方が現れないともかぎりません。--Iratume 2009年9月20日 (日) 11:10 (UTC)[返信]
すみませんでした。戻しておきます。実は、来春出版予定の﹃近現代日本人物史料情報辞典4﹄に﹁肝付兼行﹂の原稿を書いたのですが、わたくしも、遺族が探し出せないままです。海上保安庁水路部が﹃日本水路史﹄(1971年)のあとがきを見ると、水路部の編纂担当者が、孫の肝付兼一さんから、肝付兼行について聞き取りをしていることが判ります。日清戦争の直前に、一時、水路部長の職から離れている時期についての﹃日本水路史﹄の記述はそのインタビューの反映かと思えます。実際は、現場に出て、西海方面︵呉から佐世保、豊後水道付近︶の測量をやっていたみたいです。憲政資料室が所蔵する辻新次関係文書︵大日本教育会会長、元文部次官︶に、測量先からの肝付書翰が1通残り、様子が判明します。ところで、オンライン国会議事録を検索すると﹁内閣調査室防衛班主任﹂として肝付兼一さんの名前が出てきます。曾祖父の肝付兼武と一緒で、諜報畑の仕事をしていたのですね。--rshiba 2009年9月20日 (日) 11:35 (UTC)[返信]
お手間をとらせまして、申し訳ございません。ノート:肝付兼行の方で、お答え下さった方に、私がちゃんと対応していればよかったのですが、本文をどう書き直せばいいものか判断がつきませんまま、履歴で先生が手を入れておられたのがわかりましたので、直しておられないということは、小松帯刀の甥であるというなにか別の資料でもあるのだろうかと、躊躇してしまいました。もしよろしければお教え願いたいことがあり、これから、肝付兼行のノートの方に書かせていただきます。--Iratume 2009年9月20日 (日) 16:12 (UTC)[返信]
個人設定のところにウォッチリストに記事を追加するかどうか設定する機能があります。
自分が作成した記事を追加が適当かなと思います。ウォッチリストを拡張すると最新のものだけでなくすべて見れますが莫大な量になることも考えられます。編集でカテゴリを追加した記事を逐一入れた場合に数千になってしまうとウィキ中毒になってしまうおそれがあるので避けた方が良いと思います。作成に深く関わったりご自身以外の編集がほとんどないものに限定して追加されてはいかがかなと思います。頻繁にアクセスされる記事の場合は荒らしがあっても誰かが気づいて差し戻しますので。--Tiyoringo 2009年10月3日 (土) 13:21 (UTC)[返信]
アドバイスありがとうございます。現在のところ、国会議員については、存命人物は編集が多く見ているのが辛いので、﹁存命人物は外し、故人のみを登録﹂しています。むしろ、疑問に思っているのは、いろいろな管理系の場所のどの範囲を登録しておけばいいかについてです。--rshiba 2009年10月3日 (土) 13:25 (UTC)[返信]
議論を確認しました。編集者が一人だけの場合の﹁即時削除依頼﹂を出す用意があります。逆に言って、冷戦締結以後の部分の人名の選び方がひどいものだと見えたため、そこから、歴史上の事項を分離するつもりでした。議論の結果が決まりましたら、それに応じて対処します。--rshiba 2009年10月8日 (木) 08:45 (UTC)[返信]
﹁要出典﹂タグをつけた者です。
貞愛親王は、実質的に内大臣の職務をつかさどっていましたが、1912年12月21日の﹁貞愛親王ヘ賜フ勅語﹂から、正確には﹁内大臣府出仕﹂とするのが正しいのではないでしょうか︵﹁経歴﹂には元からそうあるのですが︶
恥ずかしながら﹃歴代顕官録﹄が手元になく確認できないのですが、最近の﹃日本官僚制総合事典﹄では注にてそういう扱いになっておりますし、手元の概説書でも、たとえば伊藤之雄﹃政党政治と天皇﹄54頁でははっきりと﹁内大臣は空席﹂との叙述があります。
貞愛親王が﹁内大臣﹂の地位にあったという史料を存じ上げなかったため﹁要出典﹂タグをつけさせていただいたのですが、﹁複数のリファレンスに出てくる自明な事項﹂とありますのを、厚かましくも、どうぞご教授くださるようお願いいたします。--Tengai 2009年10月11日 (日) 11:08 (UTC)[返信]
事情確認しました。その場合でしたら、﹁要出典﹂を付すのではなくて、﹁第4代内大臣︵内大臣府出仕︶﹂と書き換えた上で脚注番号を付して、脚注の項目に﹃日本官僚制総合事典﹄と伊藤之雄﹃政党政治と天皇﹄を情報源として付記しておいたら如何でしょうか。また、内大臣府にも、脚注が必要でしょう。
第4代の代数については、飛ばして、つぎの大山巌を第4代とする書き換えは、無用な混乱をもたらすと考えます。第4代を貞愛親王とした上で﹁厳密に言えば、内大臣ではなく、内大臣府出仕、事務取り扱い﹂だったと付記するのが上限でしょう。
なお、皇族だから大臣にはなれないという建前からだったのでしょうか。東久邇宮稔彦王が内閣総理﹁大臣﹂になってしまったのと好対照ですね。--rshiba 2009年10月11日 (日) 12:10 (UTC)[返信]
Category:日本の文学研究者について[編集]
こんにちは。「アルコール薬物問題全国市民協会」というリダイレクトを作成し、「アルコールハラスメント」へリダイレクトさせた件ですが、一旦「アルコール薬物問題全国市民協会」を白紙化しました。
「アルコール薬物問題全国市民協会」を参照しようとした方が現状の「アルコールハラスメント」の記事を見せられても困惑すると判断したからです。Wikipedia:リダイレクト#穏当な転送を行うにあるように、記事「アルコールハラスメント」内に「アルコール薬物問題全国市民協会」について質、量ともに十分な記述があればリダイレクトするのも問題ないかとは思いますが……。(「アルコールハラスメント」内に「アルコール薬物問題全国市民協会」の記述が充実することの妥当性はあまり検討していないですけど)--iwaim 2009年11月17日 (火) 05:30 (UTC) 記事名を修正。--iwaim 2009年11月17日 (火) 05:32 (UTC)[返信]
各所でカテゴリツリーを追加されているのを見かけるのですが、これは何のためのものなのでしょうか? 個人的には、記事の包含数が多い場合にサブカテゴリが1ページ内に表示されていないような時の補助的な表示手段だと理解していたのですが・・・。--頭痛 2009年11月25日 (水) 05:06 (UTC)[返信]
カテゴリツリーの構造を直感的に理解するための補助︵第一の理由︶。ソートキーの付け方が悪いとサブカテゴリとして表示されないことがあるのをカテゴリツリーだと表示される︵第二の理由︶。第二の理由は、ソートキーを調整することで回避できますので一時的な措置です。解消できたら、カテゴリツリーを外してもいい。第一の理由は、ツリーの構造を理解した後に手を加えるのではなくて、狭い範囲で判断してリンクを張ったり、新しいカテゴリを作ったりが多いと見ていたので、その解消のために貼ってみました。但し、貼りすぎているかもしれないので、その場を見て、その時点の判断で外しても、わたくしとしては全く異議はありません。--rshiba 2009年11月25日 (水) 05:20 (UTC)[返信]
表示されないことがあるというのは知りませんでした。カテゴリ構造については、正直三列のものが直列になったところで対して変わらないのではというか・・・︵英語版でも見たことないですし︶。内容的にほとんど同じものが二度表示されるというのも気になるのですが、まあ人によって違うのでしょうか。
目次なども一ページに十分収まっているカテゴリにはいらないと思うので、必要なさそうなところは編集のついでにはずさせてもらうことにします。--頭痛 2009年11月25日 (水) 06:26 (UTC)[返信]
私が誤解していたようです。表示されない場合は、上限数を越えているのが原因です。頭痛さんが正しいです。Category:職業では、現状、68個中58個表示、となっていますが、非表示は末尾の10個です。--rshiba 2009年11月25日 (水) 08:29 (UTC)[返信]
- どうもありがとうございます。確認して対処します。--rshiba 2009年12月13日 (日) 14:43 (UTC)[返信]
初めまして。財務省発行の﹁職員録﹂による表記を根拠に﹁在何々大使館特命全権大使﹂という置換編集を多数されているようですが、大変な違和感を覚えます。現時点で手元に職員録がありません︵5年くらい前に図書館で見たきり︶なので、少々うろ覚えで申しますが、本当に﹁在何々大使館特命全権大使﹂と一行で書かれていますでしょうか?
もしかして﹁在○○国日本国大使館﹂という大見出し行の横に︵つまり改行されたあとに︶特命全権大使だれそれ、と載っているのではありませんか。もしそうなら、それを一行にくっつけるのは根拠にならないのではないかと思います︵もしそれが許されるなら﹁総務省﹂の見出しの横に書かれた﹁総務大臣﹂をまとめて﹁正式職名は総務省総務大臣である﹂と主張できてしまいます。︶。
官報に掲載される辞令や告示では今なお、﹁︵何々国駐箚︶特命全権大使﹂とか﹁何々国駐在日本国特命全権大使﹂が主流であり、あなたの主張される表記は、一般大衆的には、百科事典的には問題ないのかもしれませんが、官報の表記を俗的な表記で一掃してしまうのは、正確性の観点からみて問題なしと言い切れるのでしょうか。
あなたのCategory‐ノート:大使における提案は、あくまで﹁記事名﹂に係るものだったのではないでしょうか。無論、記事名と記事本文の表記が一致したほうがいい、という一般論に無碍に反対するつもりはありませんが、正規名称を差し置いて通俗な名称を記事名に用いるという合意を取り付けたのであれば、むしろ、記事本文では﹁正式な呼称は違うんですよ﹂という説明を残すのが筋というものではないでしょうか。記事名からの駆逐に飽きたらず記事本文からも一掃してかまわない、との合意をあなたに与え、それらの一掃行為に勤しまれることを容認する合意をしたようには思われないのですが。
失礼ながら、ここ数日のあなたのご様子を拝見し、ちょっと行き過ぎなのではないかと受け止め、失礼ながら一言申し上げました。たとえば、戦前の満州のあたりまで全部戦後の﹁在何々﹂表記にするのは正しいのだろうか、と疑問を持った次第です。江戸時代の老中を﹁国務大臣﹂と置換するかのような行為のように思えて違和感が払拭できません。お気に障りましたらすみません。--無言雀師 2010年2月24日 (水) 15:18 (UTC)[返信]
どこからご返事しましょうか。
まず、正式名称としては﹁〇〇駐箚大使﹂という表記が使われているということは、特命全権大使の項目に手を入れた際に、その点は明確に残すようにしました。この点はご確認いただけますね。
つぎに、﹁在〇〇国特命全権公使﹂という表記は、明治時代以来の内容を収録する﹃外交文書﹄(刊本)にも普通に見かけた表記であって、﹁駐箚﹂という表記は、辞令などでは使われた語彙ではあっても、明治時代にあっても、一般向けに外務省が提示する名称ではありませんでした。日清戦争中の外国新聞操縦関係の外交文書の簿冊を見るため、夏休みを使い切った思い出とともに、このことは明確に記憶しています。また、﹁在〇〇﹂﹁駐〇〇﹂と、﹁〇〇駐箚﹂とを﹃CD-ROM 明治の読売新聞﹄﹃CD-ROM 大正の読売新聞﹄で検索しても、明らかに、前2者の方が、新聞紙面においては、頻出語彙となっています。
それから、戦後ではなくて、明治時代まで遡り、国立国会図書館近代ジデタルライブラリで、明治19年以来の﹃職員録﹄を検索してみてください。当初から明治29年度版まではは﹁伊国特命全権公使(氏)(名)﹂という頭に﹁在﹂がつかない表記ですが、明治30年版以降は﹁在伊国特命全権公使(氏)(名)﹂という表記になっています。
﹁〇〇駐箚﹂(但し本来の字体は違う)と﹁在〇〇﹂は、ともに百年以上の時間のなかで用いられていた表現です。日本外務省が用いる固有の日本語表記として﹁駐箚﹂の存在を否定するのは間違いですが、他国の大使や公使を表記する翻訳語として、また、通常の叙述のなかでその語彙を用いるのは行き過ぎだと思います。--rshiba 2010年2月24日 (水) 16:41 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。少々、お互いに論点がかみ合ってない気がします。
私が申し上げたかったのは、
●﹁大使館大使﹂という表記はおかしくないのだろうか︵総務省総務大臣と書くようなものではないのか︶。在何国特命全権大使はよくても、在何国﹁大使館﹂特命全権大使はおかしいのでは、と申し上げたつもりです。
●人物の略歴をアスタリスクを用いて、あるいは表を用いるなどして、箇条書き的に︵つまりデータ表示的に︶している部分で、前後の流れからみて﹁できるだけ正式な表記︵辞令などでの表記︶﹂を羅列しているのだな、と分かるような部分の表記まで変えてしまっているのはどんなもんなんだろうか、データ的な羅列の側面においてまで﹁わかりやすさ﹂を優先すべきなのだろうか、という点です。
あと、他国から日本へ派遣されている大使・公使に日本的な表記をそのまま使うのは、それはそれで変だ、というのは私も違和感を感じておりましたので、その部分は全く同感で異議はありません。--無言雀師 2010年2月24日 (水) 21:52 (UTC)[返信]
一点目の﹁大使館﹂が余分ではないかとのご指摘は、その通りです。史料の表記に引きずられてしまっていたようです。原典主義の陥穽に陥っていたようです。訂正しておきます。
二点目は、線引きが非常に微妙なところです。項目名の改名提案の段階で、どなたかがコメントを付けてくるだろうと予想していたものが、だれもなにもいわず、形式上は合意が成立してしまったかたちになり、関連事項の修正をどの辺までやる・やらないの判断がとても難しいと感じていました。歴史上の過去の外交官の場合、外交史での記述がどのような言葉づかいを用いているのかが一つの標準となると考えられます。鹿島守之助﹃日本外交史﹄や、個別外交交渉を検討する論考が多く乗った1960年代前後の国際政治学会年報﹃国際政治﹄などの記述が参考になります。但し、存命人物にまで手を加えないほうが良かったとの判断は、あったかったかも知れません。国会議員・帝国議会議員の項目に対するのと同じように、歴史上の人物になっていない人物については、現存人物固有の事情がありそうで、再修正する方が出たとしてもこだわるつもりはありません。--rshiba 2010年2月25日 (木) 07:23 (UTC)[返信]
﹁大使館﹂の件、迅速なる対応をいただいたことに感謝申し上げます。二点目の件についても、一定のご理解をいただいたようで嬉しく思います。私としましても、何が何でも駐箚の語に拘っていたわけではなく、説明文中では冗長にならないよう一般的表記を、表中や箇条書き部分では︵前後の流れにもよりますが︶正確な表記を、という具合に考えておりましたので、あなたのなされた置換作業を追いかけて編集しまくろう、などと考えてはおりません。今回はとても有意義な対話でありました。敬意と謝意を表します。--無言雀師 2010年2月26日 (金) 22:36 (UTC)[返信]
ノート:歴史上の人物一覧にて、「歴史上の人物」とは?という問題提起をしています。できればコメントいただきたく、よろしくお願いいたします。(Wikipedia‐ノート:記事名の付け方で関係しそうな問題提起をされていたのでぶしつけながら依頼させていただきました)Fuji 3 2010年3月1日 (月) 08:33 (UTC)[返信]
柴崎力栄さん、はじめまして。貴方が﹁Category:各国のスパイ﹂に﹁カウンターインテリジェンス担当者、スパイマスターを含む。﹂との文言を加えられたのでこれまで所属が不明であった両者が各国のスパイのカテゴリに含まれるべきとする内容に変わりつつあると考えています。私は両者の取り扱いに苦慮していましたので貴方の処置に感謝しております。両者に対する認識などが一般に形成された後には別の方が新たな試みをしてくださればいいと思いますが世間の両者に対する認識が浅い状態で編集者側のみが理想を追いかけるべきではないと考えているので貴方の処置を支持します。この文言をサブカテゴリにも明記していくべきと考えていますが貴方のご意見はどうでしょうか?--Sweeper tamonten 2010年4月1日 (木) 06:48 (UTC)[返信]
はじめまして。各所で何度か遭遇しているかんぴです。トーク:慶應義塾大学の人物一覧において、議論が堂々巡りとなっているので、とりあえず論点を整理してみたのですが、これで正しいのかよくわかりません。もしかしたら、私が問題視している点と、柴崎力栄様の問題視している点では、争点がずれている可能性もあります︵過去のコメントを見てみると、特に﹁争点1﹂に関して、柴崎力栄様は争っていないような気もしますので︶。ぜひ、専門家としてのご意見を伺いたいと思います。もし問題がなければ、コメント依頼︵現時点で出ている出典に基づき、松木・杉の両者を関係者とすることが妥当か︶にも出してみようと思っていますが、いかがでしょうか。--かんぴ 2010年5月26日 (水) 11:06 (UTC)[返信]
﹁櫻井良樹﹂の項目を復元されたようですが、その結果、同氏が3か所(歴史学カテゴリで2回!)も重複して記載されていた元の状態に戻っております。1個所で十分と考えます。ご検討ください。keith1975