利用者:山本海行/下書き2
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「元素#歴史」も参照
古代ギリシャの原子論[編集]
古代ギリシア哲学においては、ソクラテス以前の哲学者・イオニア学派のアナクサゴラスが、万物は最小の構成要素﹁スペルマタ﹂︵種子︶からなると説いて議論に先鞭をつけた。その後、ソクラテスと同時代のレウキッポスとその弟子デモクリトスらの一派が、﹁アトモン﹂︵不可分なもの︶が物質を構成する最小単位であるという原子論を唱えた。デモクリトスらの原子論は、プラトンやアリストテレスの形而上学と対立しつつ、ヘレニズム期のエピクロスや共和制ローマのルクレティウスに継承される。その後1000年以上の時を跨いで、ルネサンス期の人文主義者ポッジョ・ブラッチョリーニによって再発見された[1]。
インドの原子論[編集]
20世紀以降のインド哲学史研究において、六師外道のアジタ・ケーサカンバリンやジャイナ教の思想、ヴァイシェーシカ学派の思想、﹁極微﹂の思想などが、古代ギリシャに見立てられて便宜的に﹁原子論﹂と呼ばれる[2]。仏教の原子説[編集]
仏教の学派﹁説一切有部﹂のアビダルマ論書のうち、中期以降のものに原子説が見られる[3]。(物質を表す語である)色(ただし無表色を除く)は多くの原子(パラマ・アヌ、極微)が集合して成り立っているとされる(﹁アヌ﹂は﹁微粒子﹂の意。﹁パラマ﹂は﹁最高の﹂﹁極限の﹂の意)[4]。原子は物質を次第に分割した極限において、もうこれ以上分割できないだけの大きさである[4]。原子は微粒子ではあるが、立体的にそれを包む面を持たない(もし面を持つとすれば、更に分割が可能となり、定義に反くため)[5]。原子を中心に上下左右前後に1個ずつが集まり7個の原子の集合したものが第2の単位のアヌとなる[5]。原子が他の原子と接触するかしないかの論争があったが、接触しないのが正しいと認められている(接触する場合は、一部で接触するか全部で接触するかのいずれかであるが、全部で接触すれば2つの原子は全く重なりあってしまうこととなり、また一部で接触すれば原子が部分を持つこととなることからもはや分割されえないはずの原子がさらに分割されることとなり、定義に反するため)[6]イスラームの原子論[編集]
イスラーム理論神学(kalam)では、一部の例外を除き、存在論の基礎を原子論においている、とされる。Jawhar fardというのが、Juz' la yatajazza'u︵=もはやそれ以上分割できない部分︶とされ、原子に相当する。 ただし、存在のもうひとつの単位として﹁偶有(arad)﹂があり、原子はつねに偶有と結びついており、偶有と原子は神によって創られた次の瞬間には消滅する、とする。Jawhar fardが結合して、いわゆる物体を構成しており、物体︵原子︶の変化はすべて神が作る偶有によって説明され、物体相互の関係は否定されている。 イスラームの原子論では︵西洋の原子論のように世界を機械論的に説明しようとはしておらず︶、世界に生成性(muhdath)があり、世界を生成させているのは神であり、神が世界を直接支配している、と説明している。 ただし、その説明のしかたには様々なタイプがあり、アシュアリー学派は、偶有性の持続を一切認めず、全ての原子の結合や分離、生成、変化は神の創造行為と結び付けられている、と説明するのに対し、ムゥタズィラ学派は例外的にいくらか偶有性が持続するとすることで、人間の行為の選択可能性や、自然界の秩序を認めた[7]。 空間の構造については、それが連続的であるのか、あるいは原子のような最小単位があるのか議論があったが、後者のほうが優勢であった。また、真空については、存在を認める議論と認めない議論の両方があった。 イスラームの原子論の起源については、古代ギリシャ起源説、インド起源説、独立の発生だという説などがあり、はっきりとしたことはわかっていない。近世ヨーロッパの原子論[編集]
デカルトなどは、"原子"などという概念を採用した場合、それがなぜ不可分なのかという問いに答えることは不可能と判断し、粒子はすべて分割可能だとした︵原子論の否定︶[要出典]。
16世紀以降、化学が進歩し、ラボアジェ、ドルトンなどにより物質の構成要素として元素概念が提唱された。かれらの論が近代原子論の源流とされている。[誰によって?]