劉半農
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人物情報 | |
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生誕 |
1891年5月27日 江蘇省常州府江陰県殷家埭 |
死没 | 1934年7月14日 (43歳没) |
出身校 | パリ大学 |
学問 | |
研究分野 | 言語学・文学 |
研究機関 | 北京大学・中央研究院歴史言語研究所 |
劉 半農︵りゅう はんのう、1891年5月27日 - 1934年7月14日︶は、中華民国の詩人・言語学者。もとの名は﹁寿彭﹂で、のちに﹁復﹂に改めた。字ははじめ﹁半儂﹂、のち﹁半農﹂と改めた。
江陰市の劉兄弟の故居
中国の新文化運動の先駆者で詩人・言語学者として活躍した。著作には﹃半農雑文﹄・﹃半農談影﹄・﹃四声新譜﹄・﹃方言字典﹄・詩集﹃揚鞭集﹄などがあり、このうち﹁撮影美学﹂を論じた専門書﹃半農談影﹄は、中国においては初期の映画理論書の一つである。また小デュマの名作﹃椿姫﹄を中国語に翻訳したことでも知られている。
1925年の﹃四声実験録﹄は博士論文をまとめたものだが、中国の実験音声学の先駆的業績として名高い。同年北京大学に実験音声学のための研究室を作り、各地の方言の音声を研究した。1930年にはポール・パシーの﹃Petite phonétique comparée des principales langues européennes﹄を﹃比較語音学概要﹄の題で中国語に翻訳している。
音声学や方言学以外の方面では、文学革命後の1920年に﹃中国文法通論﹄を出版した。フランス留学中はペリオの収集した敦煌文献を調査し、1925年に﹃敦煌掇瑣﹄全3集として出版した。後に共著で﹃十韻彙編﹄を出版しているが︵ただし出版されたのは没後の1936年︶、これは敦煌のものを中心として切韻系韻書を集めたものである。文字関係の著作には﹃宋元以来俗字譜﹄(1930年)がある。ほかに国語ローマ字の制定にもかかわっている。