加トちゃんのビバノンラジオ全員集合
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6時だョ!(8時だョ!)加トちゃんの ビバノンラジオ全員集合 | |
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ジャンル | バラエティ番組 |
放送方式 | 生放送(ナイターシーズン中は録音) |
放送期間 | 1994年10月3日 - 1996年3月29日 |
放送時間 | 月曜日 - 金曜日18:00 - 19:00(ナイターオフシーズン時)、月曜日20:00 - 20:50(ナイターシーズン中) |
放送局 | ニッポン放送 |
パーソナリティ | 加藤茶 |
出演 | 増山さやか |
加トちゃんのビバノンラジオ全員集合︵かトちゃんのラジオぜんいんしゅうごう︶は、1994年10月3日から1996年3月29日まで放送されたニッポン放送のラジオ・バラエティ番組。
なお、正式タイトルは放送時刻を頭に付けた﹃6時だョ!︵8時だョ!︶加トちゃんのビバノンラジオ全員集合﹄だった。
概要[編集]
1994年秋にナイターオフシーズンの番組としてスタート。パーソナリティにはこれがラジオ初レギュラーとなるザ・ドリフターズの加藤茶を起用し、当時まだ若手だった増山さやかアナウンサーをアシスタントに起用してスタートした。 当初は1シーズンのみの放送予定だったが好評を博したことからプロ野球の1995年シーズンが開幕すると放送時間を毎週月曜日20時枠に移動、さらにオフになるともとの平日18時枠に戻って放送が継続された。 加藤はこの番組での実績が評価されて、1996年春で終了することになった平日午前枠の﹃玉置宏の笑顔でこんにちは!﹄の後番組を任されることになり、同年4月1日より﹃加トちゃんのラジオでチャッ!チャッ!チャッ!﹄がスタートした。出演者[編集]
●加藤茶︵パーソナリティ︶ ●増山さやか︵アシスタント、ニッポン放送アナウンサー︶ ●加藤は当初、彼女のことを﹁さやかちゃん﹂と呼んでいたが、共演期間が長くなり慣れるに従って、ただ単に﹁増山﹂と呼ぶだけに変わった。コーナー[編集]
18時枠の場合[編集]
●加トちゃんのファミリーポエム﹁お父さん、アンタも好きねェ﹂︵1994年次︶→家庭円満ズンドコ伝説︵1995年次︶ ●リスナーからの投稿コーナー。 ●このコーナーのみ、1週間遅れで全国のNRN系列局にネットされていた事がある。なお岐阜放送もネットしていた。ワイド番組同様に加トチャンペで締めていた。 ●加トちゃんのビバノンクイズ﹁チョットだけよ﹂ ●体験告白いいこと電話︵1994年次︶→ガチンコテレフォン︵1995年次︶ ●スポーツチェック ●夕刊茶スポ︵1994年次︶→ビバノン大学本日開講︵1995年次︶エピソード[編集]
●のちに﹁加トちゃんのラジオでチャッ!チャッ!チャッ!﹂以降コンビを組むことになる桜庭亮平アナウンサーは当時、当番組でニュースデスク担当のアナウンサーとして出演していた︵当然ながら、加藤との絡みはほとんどなかった︶。 ●ナイターシーズン中の月曜20時枠時代、直前の19時枠を吉幾三が担当していたが、こちらの番組も増山がアシスタントだったことから、吉は番組エンディングになると当番組のことを﹁次は加トちゃんの録音番組﹂などと散々に揶揄して増山を困らせ、当番組が始まるとオープニングで加藤が﹁録音、録音と言いたい放題言いやがって…﹂と吉に対して半ば呆れ気味に文句を言い返すのがお約束だった︵なお、吉は当番組にも予告なしに乱入したことがある︶。 ●加藤が初めてレギュラーで担当したラジオ番組だったこともあって、番組ジングルには加藤のギャグ︵クシャミと﹁加トちゃんでございますよ~﹂︶を盛り込んだものも作られた。 ●月曜20時枠に移行後、エンディングで加藤と増山が﹁加トちゃん、ペッ﹂でお別れするようになり、1995年のナイターオフシーズンからは﹁ビバノンノン~﹂でお別れするパターンと併用されるようになった。 ●加藤は後に﹁加トちゃんのラジオでチャッ!チャッ!チャッ!﹂を経て、1998年4月から﹁加トちゃんの黄金伝説'98﹂で、ふたたび月曜20時枠に復帰した︵ただし当番組と直接の関係はなく、番組自体も30分番組になった︶。関連項目[編集]
●ニッポン放送平日ナイターオフ18時台夕方帯ワイド番組ニッポン放送 ナイターシーズンオフ期18時枠(月~木曜) | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
田代まさしの60分ニッポン勝負! |
6時だョ!加トちゃんのビバノンラジオ全員集合 |
うえちゃんのホッとラジオ ヨッ!お疲れさん |
ニッポン放送 ナイターシーズンオフ期18時枠(金曜) | ||
田代まさしの60分ニッポン勝負! |
6時だョ!加トちゃんのビバノンラジオ全員集合 |
タモリの週刊ダイナマイク |