千葉七郎
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千葉 七郎︵ちば しちろう、1905年︵明治38年︶9月27日[1] - 1987年︵昭和62年︶12月9日[1][2][3]︶は、昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員。
来歴[編集]
岩手県東磐井郡千厩町[1][2]︵現一関市︶出身。1920年︵大正9年︶千厩町立千厩尋常高等小学校高等科を卒業した[1][3]。卒業後は地元で職業を転々とした後[4]、上京し、大日本麦酒株式会社に就職[注釈 1]。政治運動に関わるようになる[4]。 その後、帰郷し、千厩町役場書記を務めた[2][3][4]。1927年︵昭和2年︶労働農民党に入党し[2]、農民運動に加わる[1][4]。1932年︵昭和7年︶衆議院総選挙に関わったことを理由に町職員を免職される[4][5]。免職後は東京日日新聞と河北新報の嘱託記者となる[6]。1933年︵昭和8年︶千厩町会議員に選出され3期在任した[1][2][3]。また、千厩町産業組合専務理事、産業組合立東山病院専務理事[2]、千厩町農業会長などを務めた[3]。戦時中は千厩町の翼賛壮年団︵翼壮︶の副団長となるが[7]、間もなく退団する[8]。翼壮の幹部は戦後、公職追放されたが、短期間のためか公職追放を免れた[9]。 戦後、日本社会党に入党し、同党東磐支部書記長[10]、同党東磐支部長、同岩手県支部連合会副会長、同岩手県本部委員長、同岩手県連顧問などを務め[1][3]、1947年︵昭和22年︶、岩手県議会議員に選出された[4][11][12]。1951年︵昭和26年︶の県議選で落選[13]。1955年︵昭和30年︶の県議選で復帰[14]。県議を2期在任し[1][2]、副議長も務めた[2][3]。このほか、千厩農業協同組合長、東磐酪農協同組合長、岩手県農業会長、岩手県信用農業協同組合連合会理事などを務めた[3]。 1958年︵昭和33年︶5月、第28回衆議院議員総選挙で岩手2区から日本社会党公認で出馬したが次点で落選[15]。第29回総選挙でも落選後[15]、1963年︵昭和38年︶11月の第30回総選挙で初当選した[15]。1967年︵昭和42年︶1月の第31回総選挙で落選し[15]、谷村貞治の死去に伴い岩手県選挙区で1968年︵昭和43年︶6月に実施された第7回参議院議員通常選挙補欠選挙にも出馬したが次点で落選した[16]。1969年︵昭和44年︶12月の第32回総選挙で再選され[15]、衆議院議員に通算2期在任した[1][2][3]。この間、日本社会党本部たばこ対策特別委員長、同会計監査、同農林水産部会長、同米価闘争副本部長などを務めた[3]。その後、1972年︵昭和47年︶の第33回、1976年︵昭和51年︶の第34回総選挙に出馬したが、いずれも落選した[17]。 1987年︵昭和62年︶膵臓がんで死去した[18]。 その他、岩手薪炭公社取締役などを務めた[3]。脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ a b c d e f g h i 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』391頁。
- ^ a b c d e f g h i 『岩手人名辞典』170頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 『議会制度百年史 - 衆院議員名鑑』403頁。
- ^ a b c d e f 『千葉七郎運動史 礎』226頁。
- ^ 『千葉七郎運動史 礎』37頁。
- ^ 『千葉七郎運動史 礎』38頁。
- ^ 『岩手の昭和史』Ⅴ、290頁。
- ^ 『岩手の昭和史』Ⅴ、290頁。
- ^ 『岩手の昭和史』Ⅴ、300頁。
- ^ 『岩手の昭和史』Ⅴ、293頁。
- ^ 『岩手県姓氏家系歴史人物大辞典』257頁。
- ^ 『岩手県議会史』第8巻、1357頁。
- ^ 『岩手年鑑』1952年版、57頁。
- ^ 『岩手年鑑』1956年版、94頁。
- ^ a b c d e 『国政選挙総覧 1947-2016』26頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』413頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』27頁。
- ^ 『千葉七郎運動史 礎』227頁。