谷村貞治
やむら ていじ 谷村 貞治 | |
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生誕 |
1896年3月19日 日本岩手県稗貫郡新堀村 (現・岩手県花巻市) |
死没 | 1968年4月20日 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 電機学校(現・東京電機大学) |
職業 |
実業家、政治家 教育者、発明家 |
活動期間 | 1937年(昭和12年) - |
著名な実績 | 花巻東高等学校創立 |
受賞 |
紫綬褒章(1958年)[1] 紺綬褒章、勲二等瑞宝章 |
谷村 貞治︵やむら ていじ、1896年3月19日 - 1968年4月20日︶は、日本の実業家、政治家、教育者、発明家。
株式会社新興製作所の創業者、谷村学院専門学校および谷村学院高等学校︵現・花巻東高等学校︶創立者。参議院議員2期、自由民主党岩手県連会長、岩手県政顧問、岩手県経営者協議会長、岩手県体育協会会長などを歴任。テレプリンターの開発により技術立国の礎を築き﹁みちのくの電信王﹂などと呼ばれ、地元の産業振興・発展に貢献した。
経歴[編集]
岩手県稗貫郡新堀村︵後の石鳥谷町、現・花巻市︶出身。1916年に神田の電機学校︵現・東京電機大学︶を卒業後、逓信省入り。約10年間勤務した後、民間会社へ転職。 自立自営の志を叶えるべく、1937年6月東京市蒲田区︵現・東京都大田区蒲田︶に旧陸海軍指定管理工場である新興製作所を設立。所長として電信機の開発・製造に携わり、逓信省からの要請を受け公衆電報用テープ式印刷電信機の研究に着手。 太平洋戦争時は一時操業を中断するも、1945年に本社工場を岩手県花巻に移転してGHQから操業再開の許しを得て公衆用テープ式印刷電信機及び関連機器の開発、仮名文字印刷電信機の製造を開始[2]。1950年には世界初の和欧文三段シフト頁式印刷電信機を開発、テレプリンターの専門オペレーター養成のため工場隣接地に谷村学院を設立︵1957年4月1日には普通科女子高等学校の谷村学院高等学校を開校︶した[2][3]。1954年、功績を評価され第7回岩手日報文化賞︵産業部門︶を受賞。 その後、日本初の漢字テレプリンターを朝日新聞社と共同開発︵1955年︶し新聞報道の機械化を実現、加入電信宅内装置︵テレックス︶を開発し日本電信電話公社に納入︵1956年︶、電子計算機連動用のさん孔タイプライターを完成︵1957年︶させるなどして会社を発展させた。 1957年7月、廃屋同然の状態だった盛岡劇場を谷村文化センターとして再建するなど地元文化の発展にも寄与。1959年には、第5回参議院議員通常選挙に自由民主党︵岩手選挙区︶から立候補して初当選[4]、第7回参議院議員通常選挙︵1965年︶でも当選し[5]参議院議員を2期務め、政調通信部会副部長、東北地方開発審議会委員、裁判官訴追委員会委員などを歴任した。 1967年に谷村電気精機株式会社を設立した翌1968年、療養中の仙台厚生病院で亡くなり多磨霊園に埋葬された。﹁技術に国境はない﹂という名言を残している。叙正四位。受賞・栄典[編集]
著書[編集]
- 白萩荘随談(1958年、岩手放送)
- この道ひとすじに - 運・鈍・根の人生(1966年、大和書房)
脚注[編集]
- ^ 花巻物語事典
- ^ a b 新興製作所HP 新興製作所の歴史
- ^ 花巻東高等学校HP
- ^ 第5回参議院議員選挙 - 岩手選挙区、ザ・選挙、2012年5月21日閲覧。
- ^ 第7回参議院議員選挙 - 岩手選挙区、ザ・選挙、2012年5月21日閲覧。
関連項目[編集]
- 舟越保武(谷村貞治の銅像を制作した彫刻家)
- みちのくコカ・コーラボトリング(谷村家が経営)