吉川弘文館
(吉川半七から転送)
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒113-0033 東京都文京区本郷 7丁目 2番 8号 |
設立 |
1857年(安政4年) 株式会社発足:1949年(昭和24年) |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 | 5010001008193 |
事業内容 | 歴史学を中心とする人文図書の出版 |
代表者 | 取締役社長 吉川道郎 |
資本金 | 4800万円 |
従業員数 | 30名 |
関係する人物 | 吉川半七(創設者) |
外部リンク | http://www.yoshikawa-k.co.jp/ (日本語) |
株式会社吉川弘文館︵よしかわこうぶんかん︶は、日本史関連を主軸とした老舗の出版社。1857年︵安政4年︶に、吉川半七により設立。戦後1949年︵昭和24年︶に株式会社として現在に至る。
概要[編集]
明治時代に、﹃古事類苑﹄﹃故実叢書﹄﹃本居宣長全集﹄﹃和漢三才図会﹄﹃賀茂真淵全集﹄﹃大日本史﹄﹃国史大辞典︵明治版︶﹄等を出版、大正時代に﹃水戸藩史料﹄、昭和戦前期に﹃日本随筆大成﹄﹃新訂増補 国史大系﹄等、多数の史料集・辞典類を刊行し日本史学の発展に寄与している。 戦後には、古代史から近現代史までの多数の研究書に加え、文化史・美術史・考古学・民俗学・宗教史・国語・国文学等の書籍を出版しており、日本史の大半の学者が著書・編著を刊行している。 一般読者を対象とした教養書として、伝記﹃人物叢書﹄、日本史研究の成果を分かりやすくまとめた﹃日本歴史叢書﹄、人類誕生から現代に至る歴史と文化を扱った一大シリーズ﹃歴史文化ライブラリー﹄、通史﹃日本の時代史﹄や教養書の名著の再刊版﹃歴史文化セレクション﹄等がある。なお世界史・美術関連書も少数だが、数十冊出版されている。 昨今の研究潮流として、地域研究が挙げられる。﹃東北の古代史﹄﹃東北の中世史﹄﹃動乱の東国史﹄はじめとしたオーソドックスな通史や、﹃関東の名城を歩く﹄﹃東北の名城を歩く﹄といった歴史散歩、さらには、﹃︿沖縄基地問題﹀を知る事典﹄﹃沖縄戦を知る事典﹄など現代史を扱ったものも注目されている。 また日本史を知るための必携である﹃国史大辞典﹄﹃日本民俗大辞典﹄﹃日本史総合年表﹄等の辞典・年表や、史料集﹃明治天皇紀﹄﹃皇室制度史料﹄﹃平城京木簡﹄﹃飛鳥藤原京木簡﹄等がある。また日本史学に多くの業績を残した、久米邦武、坂本太郎、関晃、大久保利謙、西山松之助、桜井徳太郎、永原慶二、直木孝次郎、宮田登等の﹁著作集﹂を刊行している。なお、事務局を社内に置く日本歴史学会が編集する月刊学術誌﹁日本歴史﹂と、隔月刊PR誌﹁本郷﹂を発刊している。 2010年︵平成22年︶7月1日よりデジタル版﹁国史大辞典﹂が、インターネット百科事典﹁ジャパンナレッジ﹂の新しいコンテンツとして公開された。歴史[編集]
創業者吉川半七は、天保10年︵1839年︶に近江国︵滋賀県︶で生まれ、江戸日本橋蛎殻町の書肆若林屋喜兵衛に奉公。安政4年︵1857年︶19歳で独立、自営を許されて書物の仲買を始める。文久3年︵1863年︶には長姉の婚家で麹町の貸本屋近江屋を継ぎ、近江屋吉川半七を名乗った。元治元年︵1864年︶、江戸・京坂を往来して書籍の交易を行う。 明治3年︵1870年︶東京府京橋南伝馬町︵現在の中央区京橋一丁目︶の表通りに新店舗︵吉川書房︶を開く。扱った書物は、新時代の要望に応え、和漢書のほか、福沢諭吉・中村正直等の西洋文化の翻訳類も数多く取り揃え、とくに上方版の常備販売は他店の追随を許さぬものがあった。明治5年︵1872年︶には、吉川書房の階上に﹁貸本屋﹂の大革新を試み、有料︵1時間半銭︶の書物展覧所を設け、広く内外の書籍を集めて公開し﹁来読貸観所﹂と称した。大槻如電は﹁日本における図書館の濫觴なり﹂と称賛している︵明治9年︵1876年︶11月火災により閉鎖する︶。明治10年︵1877年︶頃より出版を兼業し、はじめ﹁文玉圃﹂﹁近江屋﹂等の号も用いたが、多くは﹁吉川半七﹂の個人名をもって発行所とした。明治12年︵1879年︶には内閣書記官岡三橋︵守節・書家︶の推挙により宮内省御用書肆となり、﹃萬葉集古義﹄﹃幼学綱要﹄﹃婦女鑑﹄等、多数の宮内省蔵版の出版を引き受け、明治20年︵1887年︶頃より、時代の趨勢に鑑み出版に専業し、もっぱら学術書の刊行に従事する。 明治33年︵1900年︶﹁弘文館﹂の商号を建て、大部な叢書の発行や、予約出版を行う。明治35年︵1902年︶吉川半七が63歳で死去。二代目吉川半七が明治37年︵1904年︶資本金10万円で合資会社吉川弘文館を設立する。明治38年︵1905年︶、国書刊行会の編輯所を吉川弘文館倉庫の二階に置き、この年から発行した刊行会本︵国書刊行会叢書︶の印刷・配本を引き受け、大正11年︵1922年︶までに全8期、57部、260冊を刊行。大正12年︵1923年︶9月1日の関東大震災により店舗や資料を全て消失する。昭和4年︵1929年︶﹃新訂増補国史大系﹄の刊行を開始する。昭和18年︵1943年︶太平洋戦争中の﹁出版事業令﹂により、企業合同を行い一時事業を休止。この年までに国史大系58冊を刊行する。 戦時中の休業を経て、昭和24年︵1949年︶5月7日、吉川圭三ほか3人が出資し、新生﹁株式会社吉川弘文館﹂として再発足し、現在に至る。脚注[編集]
出典[編集]
- 塩沢実信『昭和の名編集長物語 戦後出版史を彩った人たち』展望社 2014年 ISBN 9784885462856
外部リンク[編集]
- 公式ウェブサイト (日本語)
- 国史大辞典公開のお知らせ (日本語) - (ジャパンナレッジサイトより)