国島荘一
くにじま そういち 國島 莊一 | |
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1928年の写真、満26歳。 | |
本名 | 比佐 良夫 (ひさ よしお) |
別名義 | 國島 昇 (くにじま のぼる) |
生年月日 | 1902年3月11日 |
没年月日 | 1932年9月1日(30歳没) |
出生地 | 日本 福島県福島市 |
職業 | 俳優 |
ジャンル | 新派、劇映画(現代劇・時代劇、サウンド版、サイレント映画) |
活動期間 | 1914年 - 1932年 |
配偶者 | 無 |
主な作品 | |
『山男の恋』 『篝火の夜』 『コレラ征伐』 |
国島 荘一︵くにじま そういち、1902年3月11日 - 1932年9月1日[1]︶は、日本の俳優である[2][2][3][4][5][6][7][8]。國島 莊一と表記されることもある。本名は比佐 良夫︵ひさ よしお︶[2][3][4][6][7][8]。旧芸名は國島 昇︵くにじま のぼる︶[1][2][8]。大正末期に松竹蒲田撮影所などで活躍した二枚目俳優であったが、早世した[1][2][8]。
来歴・人物[編集]
1902年︵明治35年︶3月11日、福島県福島市に生まれる[2][3][4][5][6][7][8]。 1914年︵大正3年︶、福島県福島中学校︵現在の福島県立安積高等学校︶に入学するが、同年7月3日に中退して井上正夫一座に入り、本郷座で初舞台を踏む[2][3][4][5][6][7][8]。1922年︵大正11年︶、松竹蒲田撮影所へ入社[2][3][5][6][7][8]し、国島昇を名乗って、1923年︵大正12年︶7月1日に公開された池田義信監督映画﹃水藻の花﹄などに出演、同作で映画デビューとされている[3][5][6][7]。1924年︵大正13年︶、松竹下加茂撮影所へ移り、芸名も後に国島荘一と改名して、同年12月31日公開の清水宏監督映画﹃村の牧場﹄などに出演した後、再び松竹蒲田撮影所に復帰する[2][3][4][5][6][7][8]。1927年︵昭和2年︶には幹部に昇進[3][4][6][7][8]したが、生まれつき病弱であり、療養のため間も無く退社[7][8]。この頃、国島は五所平之助監督映画﹃恥ずかしい夢﹄で田中絹代︵1909年 - 1977年︶の相手役に起用されていた[3][4][8]。 1930年︵昭和5年︶、河合映画製作社に復帰し、主演俳優として数本の作品に出演[2][3][4][8]。1931年︵昭和6年︶には東亜キネマを経て再び松竹蒲田撮影所に再復帰する[2][3][4][8]が、1932年︵昭和7年︶6月10日に公開された五所平之助監督映画﹃天国に結ぶ恋﹄が最後の出演作品である[2][8]。1979年︵昭和54年︶10月23日に発行された﹃日本映画俳優全集 男優篇﹄など、一部の資料では以後の消息は不明とする[3][4]が、実際はこのあと再び風邪を発症して休養、﹃演芸画報﹄1932年︵昭和7年︶12月号にて、去る9月1日に数え年31歳で病没したと報じられている[1][2][8]。トーキー作品への出演は1作もなく、出演作品はすべてサイレント映画であった。出演作品[編集]
松竹蒲田撮影所︵一︶[編集]
特筆以外、全て製作は﹁松竹蒲田撮影所﹂、配給は﹁松竹﹂、全てサイレント映画、全て﹁国島昇﹂名義である。 ●﹃水藻の花﹄‥監督池田義信、1923年7月1日公開 - 都の青年 ●﹃実説国定忠治 雁の群﹄‥監督野村芳亭、1923年7月27日公開 - 高崎の重吉 ●﹃家なき女﹄‥監督大久保忠素、1923年8月18日公開 ●﹃平和村﹄‥監督小沢得二、製作松竹下加茂撮影所、1923年11月3日公開 ●﹃感じの好い映画集︽星︾﹄‥監督牛原虚彦、1924年4月13日公開 ●﹃うなぎ﹄‥監督大久保忠素、1924年5月1日公開 ●﹃水車小屋﹄‥監督小沢得二、1924年5月21日公開 ●﹃海潮音﹄‥監督大久保忠素、1924年6月11日公開 ●﹃妹﹄‥監督大久保忠素、1924年6月21日公開 ●﹃山男の恋﹄‥監督清水宏、1924年8月10日公開 - 一座の若者健二郎松竹下加茂撮影所[編集]
全て製作は﹁松竹下加茂撮影所﹂、配給は﹁松竹﹂、全てサイレント映画、特筆以外は全て﹁国島荘一﹂名義である。 ●﹃千代竜﹄‥監督大久保忠素、1924年10月1日公開 - 主演 ※﹁国島昇﹂名義 ●﹃白菊の歌﹄‥監督清水宏、1924年10月31日公開 ※﹁国島昇﹂名義 ●﹃恋に狂ふ刃﹄‥監督清水宏、1924年12月21日公開 - 真之介の弟僧侶真円 ●﹃村の牧場﹄‥監督清水宏、1924年12月31日公開 - 義近 ●﹃恩讐の刃﹄‥監督大久保忠素、1925年3月11日公開 - 原田左之助 ●﹃篝火の夜﹄‥監督清水宏、1925年3月21日公開 - その弟子三治 ●﹃或る兄弟﹄‥監督大久保忠素、1925年4月9日公開 ●﹃桃色の棘﹄‥監督清水宏、1925年5月9日公開 - 富豪の息子矢沢照彦 ●﹃激流の叫び﹄‥監督清水宏、1925年6月22日公開 - 清吉の弟伊助松竹蒲田撮影所︵二︶[編集]
全て製作は﹁松竹蒲田撮影所﹂、配給は﹁松竹﹂、全てサイレント映画、以降全て﹁国島荘一﹂名義である。 ●﹃義人の刃﹄‥監督清水宏、1925年7月28日公開 - 弟・貞之進 ●﹃支那街の夜 第一篇﹄‥監督大久保忠素、1925年9月18日公開 ●﹃支那街の夜 第二篇﹄‥監督大久保忠素、1925年9月25日公開 ●﹃支那街の夜 第三篇﹄‥監督大久保忠素、1925年10月9日公開 ●﹃コレラ征伐﹄‥監督大久保忠素、1925年10月23日公開 - 主演 ●﹃湖畔の悲哀﹄‥監督蔦見丈夫、1925年11月20日公開 - 村田吉夫 ●﹃愛妻の秘密﹄‥監督島津保次郎、1925年12月12日公開 ●﹃土に輝く﹄‥監督鈴木重吉、1926年1月7日公開 - ある紳士 ●﹃鈍急之進﹄‥監督大久保忠素・斎藤寅次郎、1926年1月30日公開 ●﹃支那街の夜 最終編﹄‥監督大久保忠素、1926年2月10日公開 ●﹃修羅八荒 第一編﹄‥監督大久保忠素、1926年2月14日公開 - 弟三輪滝太郎 ●﹃運動家﹄‥監督鈴木重吉、1926年3月2日公開 ●﹃真紅の情熱﹄‥監督清水宏、1926年3月21日公開 - 藤十郎 ●﹃修羅八荒 第二編﹄‥監督大久保忠素、1926年4月1日公開 - 弟三輪滝太郎 ●﹃修羅八荒 第三編﹄‥監督大久保忠素、1926年4月1日公開 - 弟三輪滝太郎 ●﹃京子と倭文子﹄‥監督清水宏、1926年4月22日公開 - 課長・宮田 ●﹃お坊ちやん﹄‥監督島津保次郎、応援監督蔦見丈夫・五所平之助、1926年5月1日公開 - 武石勇次 ●﹃愛怨百面相﹄‥監督大久保忠素、1926年6月25日公開 ●﹃新お初地蔵﹄‥監督野村芳亭、1926年7月15日公開 ●﹃仇討同志﹄‥監督吉野二郎、1926年7月24日公開 ●﹃修羅八荒 終編﹄‥監督大久保忠素、1926年8月8日公開 - 弟三輪滝太郎 ●﹃お照とお雪﹄‥監督清水宏、1927年1月22日公開 - 紳士 ●﹃九官鳥﹄‥監督野村芳亭、1927年1月28日公開 - 艶歌師木村春風 ●﹃高田の馬場﹄‥監督斎藤寅次郎、1927年2月17日公開 ●﹃父帰る﹄‥監督野村芳亭、1927年3月29日公開 - 代弁人阪間源吾 ●﹃恥ずかしい夢﹄‥監督五所平之助、1927年4月8日公開 ●﹃からくり娘﹄‥監督五所平之助、1927年6月15日公開 - 学生 ●﹃白虎隊﹄‥監督野村芳亭、1927年6月26日公開 - 間諜D ●﹃殺陣時代﹄‥監督斎藤寅次郎、1927年7月22日公開 ●﹃秋草燈籠 お露の巻﹄‥監督野村芳亭、1927年8月5日公開 - 講談師長太 ●﹃秋草燈籠 小萩の巻﹄‥監督野村芳亭、1927年8月5日公開 - 講談師長太 ●﹃恋を拾った男﹄‥監督島津保次郎、1927年9月1日公開 - 弥生の情婦青木 ●﹃濡衣﹄‥監督蔦見丈夫、1927年11月11日公開 ●﹃出世の近道﹄‥監督清水宏、1927年12月31日公開 - 才蔵 ●﹃亭主操縦﹄‥監督大久保忠素、1928年1月20日公開 ●﹃海に叫ぶ女﹄‥監督清水宏、1928年3月9日公開 - お浜の恋人・勇二 ●﹃永遠の心﹄‥監督佐々木恒次郎、1928年4月27日公開 ●﹃女房紛失﹄‥監督小津安二郎、1928年6月15日公開 - 名探偵車六芳明 ●﹃昭和の女﹄‥監督清水宏、1928年6月26日公開 - 美容院のボーイ藤田 ●﹃終列車の女﹄‥監督佐々木恒次郎、1928年9月7日公開 ●﹃3善人﹄‥監督野村芳亭、1929年8月15日公開 - 若紳士田宮河合映画製作社[編集]
全て製作・配給は﹁河合映画製作社﹂、全てサイレント映画である。 ●﹃影の響﹄‥監督森田京三郎、1930年1月10日公開 - 主演 ●﹃愛火燃ゆ﹄‥監督小沢得二、1930年2月7日公開 - 主演 ●﹃浅草丹次﹄‥監督丘虹二、1930年4月3日公開 - 主演 ●﹃彼女はどうなる﹄︵﹃彼女は何うなるか﹄︶‥監督小沢得二、1930年4月18日公開 ●﹃仇名草﹄‥監督小沢得二、1930年5月23日公開 - 主演 ●﹃錦旗の下に﹄‥監督吉村操、1930年5月30日公開 - 主演 ●﹃学生時代失恋日記 第一篇﹄‥監督吉村操、1930年6月20日公開 - 主演 ●﹃母の栄光﹄‥監督吉村操、1930年7月11日公開 ●﹃学生時代海兵狂想曲﹄‥監督吉村操、1930年8月25日公開 - 主演 ●﹃激浪﹄‥監督小沢得二、1930年8月29日公開東亜キネマ京都撮影所[編集]
全て製作は﹁東亜キネマ京都撮影所﹂、配給は﹁東亜キネマ﹂、全てサイレント映画である。 ●﹃一度はすべての女に﹄‥監督久保義郎、1930年月日不明公開 ●﹃処女戦線﹄‥監督別宮幸雄、1931年1月10日公開 - 主演 ●﹃別れの悲曲﹄‥監督根津新、1931年4月1日公開松竹蒲田撮影所︵三︶[編集]
全て製作は﹁松竹蒲田撮影所﹂、配給は﹁松竹﹂、特筆以外は全てサイレント映画である。- 『深夜の溜息』:監督斎藤寅次郎、1931年12月18日公開
- 『三太郎満州出征』:監督斎藤寅次郎、1932年2月4日公開 - 主演
- 『天国に結ぶ恋』:監督五所平之助、1932年6月10日公開 - 支配人岡野 ※サウンド版、遺作[8]
脚注[編集]
(一)^ abcd﹃演芸画報﹄昭和7年12月号、映画出版社、10頁。
(二)^ abcdefghijklm﹃日本映画人改名・改称事典﹄図書館刊行会、2004年。
(三)^ abcdefghijkl﹃日本映画俳優全集 男優篇﹄キネマ旬報社、1979年、198頁。
(四)^ abcdefghij﹃芸能人物事典 明治・大正・昭和﹄日外アソシエーツ、1998年、214頁。
(五)^ abcdef﹃日本映画名鑑 大正13・4年度﹄東京朝日新聞発行所、1925年、171頁。
(六)^ abcdefgh﹃日本映画俳優名鑑 昭和四年版﹄映画世界社、1928年、74頁。
(七)^ abcdefghi﹃日本映画俳優名鑑 昭和五年版﹄映画世界社、1929年、97頁。
(八)^ abcdefghijklmnop﹃映画俳優事典 戦前日本篇﹄未来社、1994年。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 国島荘一 - 日本映画データベース
- 国島昇 - 日本映画データベース
- 国島荘一 - KINENOTE
- 国島昇 - KINENOTE