坂元貞一郎
坂元 貞一郎︵さかもと ていいちろう、1920年10月15日 - 1984年5月18日︶[1]は、日本の官僚、厚生事務次官[1]。厚生省年金課長時代に国民年金制度を作り[1]、児童家庭局長時代には1971年の予算編成で児童手当制度創設に尽力[2]。正四位勲二等旭日重光章[2]。
経歴[編集]
鹿児島県阿久根村生まれで[1]、阿久根小学校卒業後に鹿児島市の伯母に引き取られ、鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を卒業し1938年4月第七高等学校造士館 (旧制)文科甲類入学、1941年3月に同校を卒業[2]。1943年9月に東京帝国大学法学部政治学科卒業[1][2]。卒業前の文官高等試験行政科に合格しており、9月27日に厚生省へ入省し大臣官房総務課勤務[2]。翌年兵役に従事し、敗戦とともに復員復職[2]。大臣官房人事課長︵1962年7月︶、社会保険庁医療保険部長︵1964年10月︶、厚生省薬務局長︵1965年6月︶、児童家庭局長︵1969年8月︶などを経て、1971年7月に厚生事務次官就任[2]。1973年7月に退官し、同年10月から環境衛生金融公庫理事長を5年間務める[2]。1979年、中外製薬に迎えられ代表取締役副社長[1][2]。脚注[編集]
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