埼玉村
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さきたまむら 埼玉村 | |
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![]() 小埼沼の万葉歌碑 | |
廃止日 | 1954年7月1日 |
廃止理由 |
編入合併 北埼玉郡埼玉村 → 行田市 |
現在の自治体 | 行田市 |
廃止時点のデータ | |
国 |
![]() |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 北埼玉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
5,148人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 |
行田市、北埼玉郡太田村、下忍村、川里村、 北足立郡箕田村 |
埼玉村役場 | |
所在地 | 埼玉県北埼玉郡埼玉村大字埼玉 |
座標 | 北緯36度06分58秒 東経139度29分27秒 / 北緯36.11611度 東経139.49089度座標: 北緯36度06分58秒 東経139度29分27秒 / 北緯36.11611度 東経139.49089度 |
ウィキプロジェクト |
埼玉村︵さきたまむら︶は、埼玉県の北部北埼玉郡に属していた村である。
埼玉村から笠原郷にかけて古くは武蔵国国造の本拠地だったと考えられている。
埼玉県︵さいたまけん︶の県名発祥の地であるが、この埼玉は﹁さきたま﹂と読む[1]。
地理[編集]
●河川‥旧忍川 ●池沼‥埼玉沼、小埼沼歴史[編集]
もとは江戸期より存在した忍藩領に属した埼玉村であった[2]。
●幕末時点では埼玉郡に所属。知行は忍藩領。
●1871年︵明治4年︶ - 埼玉県に所属する。
●1873年︵明治6年︶ - 安楽寺の境内を借用して埼玉学校︵現、行田市立埼玉小学校︶を開設する。
●1879年︵明治12年︶ - 北埼玉郡に所属する。
●1889年︵明治22年︶4月1日 - 町村制施行により、埼玉村、渡柳村、利田村、野村が合併し北埼玉郡埼玉村が改めて成立する[2]。旧村は埼玉村の大字埼玉となる。
●1946年︵昭和21年︶3月28日 - 昭和天皇が村内に行幸︵昭和天皇の戦後巡幸の一環︶[3]。
●1952年︵昭和27年︶ - 行田市大字佐間の一部、下忍村大字樋上・堤根の各一部が編入され、埼玉村の一部を分離して下忍村に併合する[2]。
●1954年︵昭和29年︶
●広田村大字赤城の一部が編入され、埼玉村の一部を分離して広田村に併合する[2]。
●7月1日 - 行田市へ編入され消滅[4][5]。大字は行田市に継承された。
名所・旧跡[編集]
●埼玉古墳群 ●稲荷山古墳 ●丸墓山古墳 ●二子山古墳 ●前玉神社 - ﹁さきたまじんじゃ﹂と読み、埼玉の地名の起源のひとつとされている[2]。万葉歌碑がある。 ●小埼沼の万葉歌碑 - 1753年︵宝暦3年︶建立[2]。出身有名人・ゆかりの人物[編集]
●濱梨花枝︵歌人・作詞家︶脚注[編集]
(一)^ 谷川彰英﹃埼玉 地名の由来を歩く﹄︵初版︶KKベストセラーズ、2017年8月10日、35-38,294頁頁。ISBN 978-4-584-12561-8。
(二)^ abcdef﹃角川日本地名大辞典11埼玉県﹄400-401頁。
(三)^ 原武史﹃昭和天皇御召列車全記録﹄新潮社、2016年9月30日、91頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
(四)^ ﹃角川日本地名大辞典11埼玉県﹄1428頁。
(五)^ ﹃角川日本地名大辞典11埼玉県﹄1022頁。
参考文献[編集]
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。