安然
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安然︵あんねん、承和8年︵841年︶? - 延喜15年︵915年︶?︶は、平安時代前期の天台宗の僧。五大院阿闍梨・阿覚大師・福集金剛・真如金剛などと称される。近江国の生まれ。最澄と同族と伝えられている[1]。
初め慈覚大師円仁につき、円仁の死後は遍昭に師事して顕密二教︵顕教と密教︶のほか戒学・悉曇学を考究した。877年︵元慶元年︶中国︵唐︶に渡ろうとしたが断念。880年︵元慶4年︶に悉曇蔵を著した。884年︵元慶8年︶に阿闍梨・元慶寺座主となった。晩年は比叡山に五大院を創建して天台教学・密教教学の研究に専念した。
安然は、﹃大日経﹄を中心とする密教重視を極限まで進めて台密︵天台宗における密教︶を大成した。
地方の伝承として、山形県米沢市にある塩野毘沙門堂の本尊を開眼。その後南陽市時沢にて入滅した。等があり、南陽市には安然入定窟が伝えられている。
脚注[編集]
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 73頁。