安藤則命
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安藤 則命︵あんどう そくめい[1] / のりみち[2]、1828年4月19日︵文政11年3月6日[3]︶ - 1909年︵明治42年︶11月23日[2][4]︶は、幕末の薩摩藩士、明治期の警察官僚・政治家。元老院議官、貴族院勅選議員、錦鶏間祗候。通称・十郎[2]。従三位勲一等。
経歴[編集]
薩摩国鹿児島城下で薩摩藩士・安藤十郎の息子として生まれる[5]。英学を修めて子弟に教授した[5]。 明治維新後、新政府に出仕し、明治元年10月2日︵1868年11月15日︶東京府市中取締隊長に就任[6]。以後、東京府監察、同大属、兼同第二大区総長、同第一大区総長、同権典事、同典事、同邏卒総長、警保助、司法中検事、権大警視、大警視、中警視、権中警視などを歴任[6]。西南戦争に際し、新撰旅団の編成に尽力した[5][6]。1879年、藤田組贋札事件を担当したが、積極的な捜査を行おうとして当局の忌避に触れ、同年12月27日、免本官、位記返上を命ぜられた[2][5][6]。 1882年6月21日、司法大書記官として復帰[6]。以後、第十局副長、検察局詰などを務めた[6]。1884年12月4日、元老院議官に就任[6]。1890年9月29日、貴族院勅選議員に任じられ[7]、同年10月20日、元老院が廃止され非職となり錦鶏間祗候を仰せ付けられた[6]。1909年11月、貴族院議員在任中に病のため薨去した[5][6]。墓所は青山霊園で、管理事務所の裏にある。栄典・授章・授賞[編集]
- 位階
- 勲章等
脚注[編集]
(一)^ ﹃議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑﹄89頁。
(二)^ abcd﹃明治維新人名辞典﹄50頁。
(三)^ ﹁職務進退・元老院 勅奏任官履歴原書 安藤則命﹂
(四)^ ﹃議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑﹄89頁では﹁11月24日﹂。
(五)^ abcde﹃明治過去帳﹄新訂初版、1139頁。
(六)^ abcdefghi﹃国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻﹄524-529頁。
(七)^ ﹃官報﹄第2182号、明治23年10月6日。
(八)^ ﹃官報﹄第479号﹁賞勲叙任﹂1885年2月7日。
(九)^ ﹃官報﹄第1027号﹁叙任﹂1886年12月1日。
(十)^ ﹃官報﹄第1929号﹁叙任及辞令﹂1889年12月2日。