コンテンツにスキップ

安藤忠恕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

  19411639 - 20102243016

[]


西

19641998退2003200510

200611121402124

12836201043034569[1]

略歴[編集]

  • 1964年3月 宮崎大学学芸学部(現教育文化学部)卒業
  • 1964年4月 宮崎県庁入庁(上級法律職)
  • 1982年4月 総務部財政課財政主幹
  • 1983年4月 福祉生活部障害援護課課長補佐
  • 1984年4月 土木部管理課課長補佐
  • 1986年4月 環境保健部環境保全課長
  • 1988年4月 総務部人事課長
  • 1990年4月 企画調整部リゾート・シルバー・振興拠点推進局長
  • 1992年4月 企画調整部次長
  • 1993年4月 人事委員会事務局長
  • 1995年4月 商工労働部長
  • 1998年3月 県庁を退職
  • 1999年8月 宮崎県知事選挙に出馬し落選
  • 2003年8月 宮崎県知事選挙に出馬。元県出納長の牧野俊雄候補らを破り初当選
  • 2006年11月 官製談合事件が発覚、同県議会において知事辞職勧告決議が可決
  • 2006年12月1日 同県議会において知事不信任決議案が可決
  • 2006年12月3日 宮崎県知事辞職を表明。同議会の議長に辞職願を提出
  • 2006年12月4日 県議会の決議を受けて即日辞職
  • 2006年12月8日 競売入札妨害(談合)容疑により逮捕
  • 2006年12月28日 競売入札妨害容疑で起訴
  • 2007年2月8日 事前収賄第三者供賄容疑で追起訴
  • 2009年3月27日 宮崎地方裁判所にて懲役3年6月、追徴金2000万円の一審判決を受ける
  • 2010年4月15日 福岡高等裁判所で控訴棄却
  • 2010年4月30日 午前3時45分、悪性リンパ腫のため入院先の県立宮崎病院で死去、この為審理中であった上告審は被告人死亡による公訴棄却が決定された[2]

脚注[編集]

  1. ^ そのまんま日記:2010年4月30日『口蹄疫』 - Ameba Blog
  2. ^ 安藤忠恕氏死去/前宮崎県知事」『四国新聞』四国新聞社(共同通信社)、2010年4月30日。2020年10月19日閲覧。オリジナルの2020年10月19日時点におけるアーカイブ。

関連項目[編集]

公職
先代
松形祐堯
宮崎県の旗宮崎県知事
公選第16代:2003年 - 2007年
次代
東国原英夫