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小川義綏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

おがわ よしやす


小川 義綏
生誕 (1831-01-01) 1831年1月1日
日本の旗 日本武蔵国多摩郡府中分梅村(現・東京都府中市分梅町)
死没 (1912-12-19) 1912年12月19日(81歳没)
日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
別名 廉之助
職業 長老牧師
配偶者 きん子
父:小川藤四郎
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  1831 - 19121219

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1831[1]

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1865(2)()[2] JC1869(2)[3] [ 1]

1870(3)9[ 2] [ 3]

1872(5)JC

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1922

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18771031878715[4] 1886(19)1903(39)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 小川はすぐに洗礼を受けることを志願したが、タムソンが「信仰のために死ぬ覚悟があるか」と詰問したので、躊躇して4年後の受洗になった。(守部 2009, pp. 60–61)
  2. ^ タムソンは横浜の英字新聞に和歌山での切支丹のことを投稿した。そこで、J・C・ヘボンとクリストファー・カロザースが米国長老教会海外伝道局に、日本における新教の自由を実現させるように、米国連邦政府を通じで速やかに要求すべきであると要請を行う。(中島 2003, pp. 42)
  3. ^ 和歌山で切支丹の堅い信仰に感銘を受け、病弱のために上野戦争に参加できなかったことが、キリストのために生きるという神の招きであると確信した。そこで、直接献身し牧師になることを決意したと言われている。(守部 2009, pp. 60)

出典[編集]

  1. ^ a b c 守部 2009, p. 60-61
  2. ^ 小川の助けによりタムソンの日本語は飛躍的に向上した。(守部 2009, pp. 60–61)
  3. ^ (守部 2009, p. 60-61)
  4. ^ 守部 2009, pp. 57)

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1986ISBN 4-88077-020-5 

1998ISBN 978-4-422-14355-2 

1986ISBN 978-4-264-02638-9 

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1988ISBN 9784764240056 
1988 

2003ISBN 4-400-22740-5 
2003305-318 

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Web