小椋克己
小椋 克己︵おぐら かつみ、1928年10月21日[1] - 2005年5月29日︶は日本の元アナウンサー。
経歴[編集]
●東京府日暮里町︵現・東京都荒川区︶生まれ。旧制松本高等学校理科を経て、愛媛大学工学部機械工学科卒業。病気療養中、ラジオのアナウンスに不満を抱き、放送業界入りを目指した。 ●1955年南海放送入社。1956年に父親の転勤で高知県へ移り、高知放送に移籍︵アナウンス課配属︶。1967年から翌年まで﹃モーニングショー﹄のサブ司会者としてNETテレビ︵テレビ朝日︶に出向。その後はアナウンス課長、報道部長、制作部長、アナウンス室長、︵1981年より︶役員待遇ニュースキャスター、︵1986年~1999年3月︶顧問を歴任。顧問時代の1991年11月より高知県立坂本龍馬記念館初代館長、1998年6月よりエフエム高知取締役︵非常勤︶、後年に高知市民生児童委員、高知市文化振興事業団理事。著書[編集]
●﹃龍馬が長い手紙を書く時﹄ ●﹃畑ちがい雑録﹄ ●﹃図説坂本龍馬﹄ ●﹃坂本龍馬を知っちゅう?﹄参考文献[編集]
●﹃アルペン颪 旧制高等学校物語 松本高校編﹄︵財界評論新社 1967年︶脚注[編集]
- ^ 『読売年鑑』第2部、p.108(2006年)
|