小金湯温泉
小金湯温泉 | |
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温泉街入り口 | |
温泉情報 | |
所在地 | 北海道札幌市南区小金湯 |
交通 | JR北海道函館本線札幌駅よりバス(じょうてつ)で約45分 |
泉質 | 硫黄泉、 アルカリ性単純温泉 |
泉温(摂氏) | 約30 |
宿泊施設数 | 2 |
小金湯温泉︵こがねゆおんせん︶は、北海道札幌市南区にある温泉である。郊外農村の中にある小さな温泉地で、札幌市街からは、定山渓温泉の手前に位置する。
泉質[編集]
●硫黄泉 ●アルカリ性単純温泉 源泉温度は30℃前後と、いずれもぬる湯である。温泉街[編集]
国道230号から200メートルほど奥に入ったところ、豊平川の清流近くに﹁湯元 小金湯﹂と﹁まつの湯﹂の2軒の宿泊施設が存在する静かな温泉地である。どちらの施設も日帰り入浴可能、露天風呂があり、加温濾過循環方式である。 川の対岸に山が迫って、柱状節理の壁をなす。昔は付近に黄金橋という吊り橋があったが、今はない。北東側には砥山ダムがある。 温泉地には、﹁札幌市アイヌ文化交流センター﹂別名﹁サッポロピリカコタン﹂がある。歴史[編集]
以前より、和人の居住はあったといい、正確な起源は明らかではない。 ●1883年︵明治16年︶頃 - 熊本からの入植者により、カツラの木の下から湧出している温泉が発見される。 ●1887年︵明治20年︶ - 吉川太左ヱ門が開湯︵→のちの吉川旅館。大正3年に福田金之助が、昭和2年に宮崎秋雄が引き継ぐ︶。 ●1890年︵明治23年︶ - 入植者の出身地から﹁熊本開墾﹂が住所地名となる。 ●1893年︵明治26年︶ - 中谷彌三右衛門が湯泉の一角の払下げを受ける︵彌三右衛門の逝去後は、娘のヨネが引き継ぐ︶。 ●大正時代の記録に﹁黄金湯﹂の地名があらわれ、これがのちに小金湯になった︵地名の由来には諸説ある︶。 ●1936年︵昭和11年︶ - 中谷家により更生園が開業、湯元なかや温泉旅館となる︵1954年に火災に遭うが再興。1979年に小金湯クーアパークホテルに改称→1997年に湯元中谷 小金湯パークホテルに改称︶。 ●1936年︵昭和11年︶10月20日 - 定山渓鉄道線小金湯停留所が新設される。 ●1942年︵昭和17年︶ - 旧吉川旅館が板倉家に引き継がれ、黄金湯温泉旅館として開業︵2004年末に混浴廃止、2007年5月10日に日帰り入浴廃止、30日廃業︶。 ●1944年︵昭和19年︶ - 札幌の割烹﹁いく代﹂の主人である斉藤源蔵が別荘を開業︵戦時中は海軍の寮に転用、戦後は元に戻る。1949年9月の豊平川の洪水で斉藤源蔵ら七名が犠牲となり、1964年に火災に遭うが再興。1998年に﹁旬の御宿まつの湯﹂としてリニューアル︶。 ●1962年︵昭和37年︶ - 住所地名が正式に﹁小金湯﹂となる。 ●1969年︵昭和44年︶11月1日 - 定山渓鉄道線および小金湯停留所が廃止となる。 ●2008年︵平成20年︶3月29日 - 小金湯パークホテルが黄金湯温泉旅館の跡地を買収、改築。﹁湯元小金湯﹂としてリニューアル。桂不動[編集]
小金湯パークホテルの庭にはカツラの巨木が生えており、地域のシンボルとなっている。幹周りは10.5メートルに達し、美瑛町でさらに太いカツラ﹁森の神様﹂が発見されるまでは北海道内最大とされていた[1]。 伝説によれば、かつて美泉定山がこの樹の下で一夜を明かした際、夢の中に樹霊が現れて霊泉のありかを示したという[1]。 中谷彌三右衛門が樹の下に不動明王を祀り、ホテル3代目の中谷弥一が札幌市内各地から放置されていた地蔵30体以上を集め、ここで供養した[1]。ギャラリー[編集]
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豊平川と小金湯温泉(2004年11月)
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黄金龍神社
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桂不動
アクセス[編集]
●札幌駅バスターミナルよりじょうてつバス﹁定山渓車庫前﹂行きまたは﹁豊平峡温泉﹂行きで﹁小金湯﹂下車。 ●真駒内駅よりじょうてつバス﹁定山渓車庫前﹂行きで﹁小金湯﹂下車。 ●新千歳空港・南千歳駅より北都交通の湯ったりライナー﹁定山渓車庫前﹂行きで﹁小金湯﹂下車。脚注[編集]
(一)^ abc﹃札幌秘境100選﹄参考文献[編集]
●札幌市教育委員会編﹃定山渓温泉﹄︵さっぽろ文庫59︶、北海道新聞社、1991年。 ●札幌歴史散歩︵山崎長吉著︶ ●﹁72小金湯の桂不動︵南区小金湯︶﹂、青木由直編著﹃札幌秘境100選﹄マップショップ、2006年10月。ISBN 4-9903282-0-5関連項目[編集]
●日本の温泉地一覧 ●定山渓温泉 - 西に約4km離れて位置する。