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山根銀二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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悽愴苛烈な決戦は尚連続してをり、敵米英は不遜な野望を逞しうし、この尊厳な本土の空襲の機を覗っている。銃後国民は前線将士百錬の精強に絶対の信頼を置くとともに銃後に於ける鉄壁の構えをより一層整えなければならぬ。そして敵の空襲をうけた場合にも我々は断乎として必勝信念を堅持し、民心の動向を指導しなければならぬ。
音楽者の使命には多々あろう。或いは一隣組員として防空に馳せ、或いは各種学校教職員として訓育に当たり、或いは又生産現場の音楽指導員として挺身する等。しかし我々には更に音楽者としての任務がある。特に空襲下に於ける行動は極めて重要である。音楽が他のあらゆる芸能に比し、国民の感情に直接訴えかけこれを慰撫激励する力の強いことを考える時、これが素材たる楽曲の内容と、その取り扱いに充分慎重を期さなければならないのである。
まず内容の点から見ると国民の士気を鼓舞し、不屈の闘志を養うべく、健全明朗、勇壮、活発、静謐、軽快等の言葉で現せるようなものが必要である。此等の表現は既に多くの人が口にし、又その具体的な内容に就いても論じられてはいる。しかし従来果たして真にその美しい形容語に合致する作品が多くあったろうか? 確かにそれに当て嵌まる相当すぐれたものも若干あったが、それは質量共に未だ充分ではない。我々はもっと前進しなければならぬのだ。
我々は忠誠心の溢れた愛国歌曲を生み出さねば居れぬ止みがたい熱情を堅持している。作品は作曲家の自らなる表現である。しかし今日に於いてはただに個人・作曲家のみの責任に於いて愛国歌曲を要求するに留まらず、それは演奏家・評論家等一切の音楽者の共同責任でなければならないと思う。かくして生まれた愛国楽曲も、最も効果ある方法によって国民に与えるものでなければ、所期の目的を達成し得ないであろう。爰に於いて移動音楽・放送・音盤等は勿論、各種の音楽機関を総動員し、真に必要な方面に、しかも最も有効に洩れなく供給し、国民の心に潜む愛国の血潮を湧き立たせ、戦力の根基に培う事が要請されるのである。それがためには全音楽人の奮起は絶対要件である。音楽者全部ががっちり組んで即刻挺身しようではないか。
今回、日本音楽協会が、特に空襲下の国民を慰撫激励するために、超非常時用決戦楽曲の制作を企図し、本年初頭以来作曲部会員を動員し、計18曲(内12曲は当選曲、6曲は編曲委嘱)を制定したのは斯かる趣旨に基づいている。これは音楽挺身隊の整備拡充と共に、空襲対策の一端であり、今後尚此の方向に向かって色々の企画をたてる予定である。」


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  1. ^ a b 山根銀蔵『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  2. ^ 日比谷公会堂でコンクール第一夜『大阪毎日新聞』(昭和13年4月10日)『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p58 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  3. ^ 野村光一・中島健蔵・三善清達『日本洋楽外史』(ラジオ技術社、1978年)p.271
  4. ^ a b 野村光一中島健蔵三善清達『日本洋楽外史』(ラジオ技術社、1978年)p.272
  5. ^ 中曽根松衛『音楽界戦後50年の歩み』p.13-19(芸術現代社、2001年)
  6. ^ 『東京新聞』1950年12月12日
  7. ^ 中曽根松衛『音楽界戦後50年の歩み』p.258-259(芸術現代社、2001年)
  8. ^ a b 『音楽の世界』1999年2月号掲載の「◆座談会◆音楽評論と評論雑誌のあり方について」における中曽根の発言を参照。
  9. ^ 山根銀一とっとりデジタルコレクション
  10. ^ 『歴代日本銀行総裁論 日本金融政策史の研究』吉野俊彥、毎日新聞社、1976、p40
  11. ^ a b c d 『人事興信録』第38巻下、山根銀五郎の項