コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
コミュニティ・ポータル
最近の出来事
新しいページ
最近の更新
おまかせ表示
練習用ページ
アップロード (ウィキメディア・コモンズ)
ヘルプ
ヘルプ
井戸端
お知らせ
バグの報告
寄付
ウィキペディアに関するお問い合わせ
検索
検索
アカウント作成
ログイン
個人用ツール
アカウント作成
ログイン
ログアウトした編集者のページ
もっと詳しく
投稿記録
トーク
目次
サイドバーに移動
非表示
ページ先頭
1
生涯
2
略歴
3
家族
4
参考文献
5
関連項目
6
脚注
目次の表示・非表示を切り替え
島津源蔵 (初代)
言語を追加
リンクを追加
ページ
ノート
日本語
閲覧
編集
履歴表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
編集
履歴表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ファイルをアップロード
特別ページ
この版への固定リンク
ページ情報
このページを引用
短縮URLを取得する
QRコードをダウンロード
ウィキデータ項目
印刷/書き出し
ブックの新規作成
PDF 形式でダウンロード
印刷用バージョン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
初代島津源蔵
初
代
島
津
源
蔵
︵
し
ま
づ
げ
ん
ぞ
う
、
天
保
10
年
5
月
15
日
︵
1
8
3
9
年
6
月
25
日
︶
-
明
治
27
年
︵
1
8
9
4
年
︶
12
月
8
日
︶
は
、
幕
末
か
ら
明
治
時
代
に
か
け
て
の
商
人
、
実
業
家
、
発
明
家
。
島
津
製
作
所
の
創
業
者
で
あ
る
。
生
涯
[
編
集
]
京
都
の
醒
ヶ
井
魚
棚
︵
現
・
堀
川
六
条
付
近
︶
で
仏
具
の
製
造
を
し
て
い
た
島
津
清
兵
衛
の
次
男
と
し
て
生
ま
れ
た
。
家
業
を
治
め
、
1
8
6
0
年
︵
万
延
元
年
︶
に
21
歳
で
木
屋
町
二
条
に
出
店
し
た
。
こ
の
地
は
高
瀬
川
の
船
便
の
終
点
に
近
く
、
当
時
の
重
要
な
流
通
拠
点
で
あ
っ
た
。
ま
た
、
京
都
府
は
殖
産
興
業
の
た
め
1
8
7
0
年
︵
明
治
3
年
︶
に
勧
業
場
、
舎
密
局
な
ど
を
こ
の
付
近
に
設
立
し
、
源
蔵
は
舎
密
局
に
出
入
り
す
る
よ
う
に
な
っ
た
。
京
都
舎
密
局
で
理
化
学
の
講
義
を
受
け
、
実
業
を
体
験
す
る
な
か
、
金
属
加
工
に
携
わ
る
仏
具
職
人
と
し
て
の
腕
を
買
わ
れ
て
初
代
局
長
の
明
石
博
高
か
ら
、
輸
入
し
た
教
育
用
理
化
学
器
械
の
修
理
や
整
備
の
依
頼
を
受
け
る
よ
う
に
な
る
[
1
]
。
舎
密
局
内
の
﹁
京
都
司
薬
場
﹂
に
派
遣
さ
れ
た
ア
ン
ト
ン
・
ヨ
ハ
ネ
ス
・
ゲ
ー
ル
ツ
か
ら
も
学
ん
だ
[
1
]
[
2
]
。
こ
こ
で
知
識
を
得
た
源
蔵
は
1
8
7
5
年
︵
明
治
8
年
︶
3
月
31
日
に
教
育
用
理
化
学
機
器
の
製
造
を
始
め
、
島
津
製
作
所
を
創
業
し
た
。
1
8
7
7
年
︵
明
治
10
年
︶
の
第
一
回
内
国
勧
業
博
覧
会
で
は
錫
製
の
医
療
用
ブ
ー
シ
ー
を
出
展
し
、
内
務
卿
・
大
久
保
利
通
か
ら
褒
状
を
受
け
て
い
る
。
ま
た
、
同
年
に
京
都
府
は
科
学
思
想
啓
発
の
た
め
に
国
内
初
の
有
人
気
球
を
計
画
し
、
京
都
府
知
事
槙
村
正
直
の
命
に
よ
り
、
源
蔵
は
そ
の
実
行
責
任
者
と
な
っ
た
。
ガ
ス
球
部
分
に
は
胡
麻
油
で
溶
か
し
た
樹
脂
ゴ
ム
を
塗
布
し
た
羽
二
重
を
用
い
、
鉄
く
ず
と
硫
酸
を
四
斗
樽
10
個
を
使
っ
て
発
生
さ
せ
た
水
素
ガ
ス
を
内
部
に
封
入
し
た
。
招
魂
祭
の
あ
る
同
年
12
月
6
日
に
仙
洞
御
所
の
広
場
で
飛
行
試
験
が
行
な
わ
れ
、
気
球
は
5
万
人
の
観
衆
の
前
で
3
6
m
の
高
さ
ま
で
浮
上
し
た
。
こ
の
日
本
初
の
有
人
軽
気
球
飛
行
の
成
功
は
東
京
の
新
聞
で
も
報
じ
ら
れ
た
[
3
]
。
こ
れ
に
よ
っ
て
源
蔵
の
知
名
度
は
大
き
く
向
上
し
た
と
い
わ
れ
る
。
翌
1
8
7
8
年
︵
明
治
11
年
︶
2
月
3
日
か
ら
3
年
間
、
京
都
府
は
ゴ
ッ
ト
フ
リ
ー
ド
・
ワ
グ
ネ
ル
を
舎
密
局
に
招
聘
・
雇
用
し
た
。
彼
は
化
学
工
芸
の
指
導
な
ど
を
職
務
と
し
、
理
化
学
器
械
の
製
造
の
た
め
出
入
り
し
て
い
た
源
蔵
に
も
接
し
て
い
た
。
8
歳
の
長
男
・
梅
次
郎
︵
二
代
目
源
蔵
︶
も
父
と
と
も
に
ワ
グ
ネ
ル
に
学
ん
だ
[
4
]
。
源
蔵
は
1
8
8
1
年
の
第
二
回
内
国
勧
業
博
覧
会
に
理
化
学
器
械
を
出
品
し
、
蒸
留
器
で
有
功
二
等
賞
牌
を
受
賞
し
た
[
2
]
。
ワ
グ
ネ
ル
か
ら
送
ら
れ
た
木
製
旋
盤
は
島
津
創
業
記
念
資
料
館
に
現
存
す
る
。
ま
た
、
1
8
8
2
年
の
カ
タ
ロ
グ
に
は
﹁
ワ
グ
ネ
ル
新
発
明
﹂
と
い
う
説
明
の
付
い
た
蒸
留
器
が
掲
載
さ
れ
て
い
る
。
1
8
8
3
年
4
月
、
源
蔵
は
京
都
府
博
覧
会
の
審
査
委
員
に
任
命
さ
れ
、
科
学
関
係
器
機
の
審
査
に
当
た
っ
た
[
5
]
。
ま
た
、
本
業
の
合
間
に
、
引
接
寺
(
京
都
市
)
の
大
鰐
口
な
ど
、
注
文
が
あ
れ
ば
鋳
造
品
の
製
作
に
も
応
じ
て
い
た
[
5
]
。
源
蔵
は
科
学
教
育
に
携
わ
る
よ
う
に
な
り
、
学
校
令
が
公
布
さ
れ
た
1
8
8
6
年
︵
明
治
19
年
︶
に
は
﹁
理
化
学
的
工
芸
雑
誌
﹂
を
発
刊
し
、
京
都
府
師
範
学
校
︵
現
・
京
都
教
育
大
学
︶
の
金
工
科
で
教
職
を
一
年
間
務
め
た
。
ま
た
同
年
、
試
験
用
の
理
化
学
器
械
を
使
っ
て
公
開
実
験
と
講
習
会
を
行
う
﹁
理
化
学
会
﹂
の
発
足
を
発
表
し
た
[
6
]
。
1
8
9
4
年
︵
明
治
27
年
︶
1
月
、
2
階
全
体
を
大
陳
列
室
と
し
た
木
屋
町
本
店
を
新
築
す
る
[
7
]
。
翌
年
春
に
開
か
れ
る
第
4
回
内
国
勧
業
博
覧
会
に
備
え
て
大
陳
列
室
の
展
示
内
容
や
博
覧
会
出
品
作
の
準
備
を
進
め
て
い
た
が
、
同
年
12
月
8
日
に
脳
溢
血
の
た
め
、
55
歳
で
亡
く
な
っ
た
。
没
後
に
長
男
の
梅
次
郎
が
2
代
目
島
津
源
蔵
を
襲
名
し
、
後
継
者
と
な
っ
た
。
略
歴
[
編
集
]
●
1
8
3
9
年
︵
天
保
10
年
︶
島
津
清
兵
衛
の
次
男
と
し
て
誕
生
。
●
1
8
6
0
年
︵
万
延
元
年
︶
木
屋
町
二
条
に
出
店
。
●
1
8
6
9
年
︵
明
治
2
年
︶
長
男
・
梅
次
郎
が
生
ま
れ
る
。
●
1
8
7
5
年
︵
明
治
8
年
︶
島
津
製
作
所
を
創
業
。
●
1
8
7
7
年
︵
明
治
10
年
︶
第
一
回
内
国
勧
業
博
覧
会
に
出
品
。
気
球
の
有
人
飛
行
に
成
功
。
●
1
8
9
4
年
︵
明
治
27
年
︶
脳
溢
血
の
た
め
55
歳
で
死
亡
。
家
族
[
編
集
]
●
父
・
島
津
清
兵
衛
‐
京
都
醒
ヶ
井
魚
棚
︵
現
在
の
堀
川
六
条
付
近
︶
に
て
仏
具
三
具
足
製
造
[
8
]
。
源
蔵
一
家
は
代
々
福
岡
県
御
笠
村
で
暮
ら
し
、
源
蔵
の
代
に
京
都
に
転
居
[
9
]
。
島
津
の
姓
は
祖
先
で
あ
る
井
上
惣
兵
衛
が
播
州
姫
路
で
暮
ら
し
て
い
た
戦
国
時
代
に
島
津
義
弘
か
ら
与
え
ら
れ
た
と
伝
わ
る
︵
島
津
製
作
所
#
社
章
参
照
︶
。
●
妻
・
き
く
︵
1
8
4
8
-
︶
‐
京
都
平
民
・
藤
木
久
兵
衛
の
次
女
[
1
0
]
。
孝
明
天
皇
の
内
裏
で
お
女
中
経
験
あ
り
[
1
1
]
。
●
長
男
・
梅
次
郎
(
1
8
6
9
)
‐
島
津
源
蔵
(
2
代
目
)
●
二
男
・
源
吉
●
三
男
・
常
三
郎
参
考
文
献
[
編
集
]
●
﹁
そ
の
志
は
〝
日
本
の
エ
ジ
ソ
ン
〟
へ
と
受
け
継
が
れ
た
﹂
上
山
明
博
︵
﹃
歴
史
街
道
─
特
集
:
島
津
源
蔵
と
京
都
近
代
産
業
﹄
P
H
P
研
究
所
,
2
0
1
7
年
11
月
号
︶
●
﹁
京
都
と
島
津
源
蔵
父
子
﹂
大
谷
晋
一
︵
﹃
化
学
と
教
育
V
o
l
.
4
1
(
1
)
﹄
日
本
化
学
会
,
1
9
9
6
年
︶
関
連
項
目
[
編
集
]
●
島
津
製
作
所
●
島
津
源
蔵
(
2
代
目
)
脚
注
[
編
集
]
(一)
^
a
b
島
津
製
作
所
/
2
教
育
用
理
化
学
器
械
の
修
理
や
整
備
に
精
励
=
広
岩
近
広
毎
日
新
聞
、
2
0
2
2
.
3
.
1
2
(二)
^
a
b
創
業
の
こ
こ
ろ
仏
具
職
人
か
ら
理
化
学
器
械
の
製
作
へ
川
勝
美
早
子
、
国
際
日
本
文
化
セ
ン
タ
ー
(三)
^
島
津
製
作
所
/
5
有
人
軽
気
球
の
飛
揚
で
面
目
躍
如
=
広
岩
近
広
毎
日
新
聞
、
2
0
2
2
.
4
.
2
(四)
^
島
津
製
作
所
/
6
父
子
で
ド
イ
ツ
人
化
学
者
ワ
グ
ネ
ル
に
学
ぶ
=
広
岩
近
広
毎
日
新
聞
、
2
0
2
2
.
4
.
9
(五)
^
a
b
島
津
製
作
所
/
8
15
歳
の
長
男
が
﹁
感
応
起
電
機
﹂
を
製
作
=
広
岩
近
広
毎
日
新
聞
、
2
0
2
2
.
4
.
2
3
(六)
^
島
津
製
作
所
/
9
科
学
技
術
の
振
興
に
と
﹁
理
化
学
会
﹂
=
広
岩
近
広
毎
日
新
聞
、
2
0
2
2
.
4
.
3
0
(七)
^
島
津
製
作
所
/
1
1
大
陳
列
室
を
完
備
し
た
本
店
を
新
築
=
広
岩
近
広
毎
日
新
聞
、
2
0
2
2
.
5
.
1
4
(八)
^
京
都
と
島
津
源
蔵
父
子
大
谷
晋
一
、
化
学
と
教
育
44
巻
1
号
︵
T
9
9
6
年
︶
(九)
^
島
津
源
蔵
﹃
人
事
興
信
録
﹄
第
8
版
、
昭
和
3
(
1
9
2
8
)
年
(十)
^
島
津
源
蔵
﹃
人
事
興
信
録
﹄
第
4
版
[
大
正
4
(
1
9
1
5
)
年
1
月
]
(11)
^
島
津
製
作
所
/
4
内
国
勧
業
博
覧
会
に
出
品
し
て
褒
状
=
広
岩
近
広
毎
日
新
聞
、
2
0
2
2
.
3
.
2
6
カテゴリ
:
江戸時代の商人
19世紀日本の実業家
日本の企業創立者
日本の製造技術者
日本の発明家
島津製作所の人物
京都教育大学の教員
日本の師範学校の教員
山城国の人物
京都府出身の人物
戦前の京都
1839年生
1894年没
本文の横幅制限を有効化/無効化