市橋直挙
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市橋 直挙︵いちはし なおたか、正徳2年︵1712年︶ - 享和2年4月7日︵1802年5月8日︶︶は、近江仁正寺藩の第5代藩主。仁正寺藩市橋家6代。
立花種盈︵筑後三池藩主・立花種明の次男︶の長男。母は毛利氏。正室は市橋直方の娘。側室に白鳥氏、高橋氏、内田氏など。子は直舊︵次男︶、大嶋義智︵三男︶、長賢︵四男︶、堀田正備︵五男︶、娘︵市橋長承室︶。官位は従五位下。下総守。幼名は万次郎、友太郎。通称は主計。初名は種弘。
享保13年︵1728年︶9月16日、先代藩主の直方の婿養子となった。直方の長男大助、次男又三郎の早世のためであった。同年9月28日、将軍徳川吉宗にお目見えした。元文元年︵1736年︶5月25日、養父直方が隠居したため、その跡を継ぐ。同年12月16日、従五位下下総守に叙任した。
宝暦8年︵1758年︶11月24日、家督を養嗣子の長璉に譲って隠居した。寛政2年︵1790年︶11月3日、剃髪して体山と号した。
享和2年︵1802年︶4月7日、91歳という長寿をもって江戸で死去した。墓所は金剛寺殿体山一無大居士。墓所は東京都荒川区西日暮里の南泉寺。