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市野迷庵の書 ﹁白心﹂[注釈 2]
●星野恒﹃湖亭史話﹄による。迷庵が林述斎に謁見する時、丁稚一人を連れて唐桟の外套に股引をはき尻をからげた姿で邸内に入った。仲介役の松崎慊堂が迎えて﹁袴でもはいてくればよろしいものを﹂というと迷庵は﹁吾は町人なればこれにて相当なり﹂と答えて少しも頓着する様子がなかった。
●同じく﹃湖亭史話﹄。迷庵の号に林下人というのがあり、慊堂もまた林下人と号すことがあった。ある時迷庵は慊堂にむかって﹁書生は林下人とはなれない。資産のない者は真の退隠をなしえないからである﹂と言った[6]。
●﹃詩史顰﹄
●﹃読書指南﹄
(一)^ 棭斎も通称三右衛門だったので、文政の六右衛門と並称されたという[2]。
(二)^ 三村竹清蔵。竹清は最初は荘子天下篇の白心、つまり﹁心を明白にする﹂という意味だと思っていたが、斎藤拙堂﹃鐵研餘滴﹄に張九齢の詩をあげて﹁但願白心在終然涅不緇﹂とあるのを読み、納得したという[5]。
- ^ 長澤規矩也・監修『漢文学者総覧』汲古書院、1979年、34頁。
- ^ 森鷗外『鷗外選集 第六巻』岩波書店、1979年、32頁。
- ^ 森鴎外『鷗外選集 第六巻』岩波書店、1979年、31頁。
- ^ 三村竹清『本之話』岡書院、1930年、66頁。
- ^ 三村竹清『本之話』岡書院、1930年、56頁。
- ^ 森銑三『森銑三著作集 別巻』中央公論社、1989年、321頁。
外部リンク[編集]