平井加尾
平井 加尾 ︵ひらい かお、天保9年︵1838年︶- 明治42年︵1909年︶︶は、幕末から明治時代の土佐国土佐郡井口村の出身の女性。西山 加尾とも。土佐藩士平井直澄の娘。夫は衆議院議員や警視総監を歴任した西山志澄[1]。兄に平井収二郎[1]。
生涯[編集]
安政9年︵1859年︶前土佐藩主山内容堂の妹・友姫が三条公睦に嫁ぐ際に友姫の御付役として上洛し、以後文久2年︵1862年︶まで三条家に仕えた。慶応2年︵1866年︶志澄を婿に迎えて平井家を継がせ、間には一女を儲けた。その後、明治11年︵1878年︶夫婦で西山姓に復し、後に娘に平井家を再興させている。明治42年︵1909年︶に72歳で死去した。 なお、加尾は坂本龍馬の初恋の相手であるという説があり、龍馬が加尾に男装用の身支度︵または脱藩用意の品︶を調達するように指示する文久元年︵1861年︶の文書が残っている[2]。加尾はこれらの品を用意したが、結局この時は龍馬は脱藩を決行せず、翌文久2年︵1862年︶3月に沢村惣之丞とともに脱藩した。龍馬の脱藩後、兄・収二郎から﹁龍馬からの相談には迂闊に乗るな﹂と咎められている[3]。文久3年︵1863年︶6月に平井収二郎が切腹させられると龍馬は6月29日付の姉・乙女宛ての手紙で﹁平井収二郎のことは誠にむごい、妹の加尾の嘆きはいかばかりか﹂と加尾を案じている[4]。 加尾が晩年に著した﹁涙痕録﹂では龍馬と再会できなかったことについて﹁女子一生の痛恨﹂と記している[1]。脚注[編集]
参考文献[編集]
登場作品[編集]
- テレビドラマ