彰仁親王妃頼子
小松宮彰仁親王妃 頼子 | |
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身位 | 親王妃 |
敬称 | 殿下 |
出生 |
1852年8月3日 筑後国久留米 |
死去 |
1914年6月26日 東京府東京市 |
埋葬 | 豊島岡墓地 |
配偶者 | 小松宮彰仁親王 |
父親 | 有馬頼咸 |
彰仁親王妃頼子︵あきひとしんのうひ よりこ、嘉永5年6月18日︵1852年8月3日︶ - 大正3年︵1914年︶6月26日︶は、日本の皇族。小松宮彰仁親王の妃。
略歴[編集]
旧久留米藩主・有馬頼咸の長女。初名は満喜︵まき︶。明治2年︵1869年︶に結婚して、彰仁親王妃となる。彰仁親王との間に子供は無かった。明治36年︵1903年︶に夫に先立たれ、大正3年︵1914年︶に心臓麻痺のため[1]62歳で死去した。 明治19年︵1886年︶に彰仁親王と共にヨーロッパに外遊した際、金に糸目を付けずに当地のブランド物を買いあさり、明治天皇に激怒されたという話が﹃明治天皇紀﹄に記載されている。これらの形で彼女が着用・収集した装束や洋服の多くは、その死後、夫の縁により仁和寺に奉納され、現在は京都国立博物館で不定期に公開されている。栄典[編集]
- 1888年(明治21年)11月1日 - 勲一等宝冠章[2]
- 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章[3]
- 外国勲章佩用允許