成瀬正典
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成瀬 正典︵なるせ まさのり、寛保2年1月2日︵1742年2月7日︶ - 文政3年10月18日︵1820年11月23日︶︶は、尾張藩の附家老、尾張犬山藩の第6代当主。
第5代当主・成瀬正泰の次男。正室は戸田光雄の娘。子に成瀬正賢︵長男︶、金田篤行︵次男︶、小浜隆庸︵三男︶、成瀬正壽︵四男︶、青山正周︵五男︶、娘︵成瀬正邦室︶、娘︵成瀬正育室︶。官位は従五位下、隼人正。
幼名は小吉。宝暦8年︵1758年︶12月、従五位下民部少輔に叙任。明和5年︵1768年︶1月28日、父の隠居により跡を継ぐ。
成瀬正典の墓(名古屋市平和公園)
文化6年︵1809年︶7月29日、家督を四男の正壽に譲って隠居し、文化7年︵1810年︶に剃髪して浄翁と称し、文政3年︵1820年︶10月18日に79歳で死去した。法号は一珠院殿自得日慶大禅定門。墓所は愛知県名古屋市中区栄三丁目の白林寺(のち平和公園に改葬)、もしくは修行寺とも言われている。
人物[編集]
●父と同様に絵画の才能があり、丹青の技を好み、特に鷹の絵が評価された[1]。系譜[編集]
父母 ●成瀬正泰︵父︶ 正室 ●戸田光雄の娘 子女脚注[編集]
- ^ 小山譽城『徳川御三家付家老の研究』(清文堂出版、2006年) ISBN 4-7924-0617-X