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●1906年8月3日 - 東京市小石川に生れる。
●1930年 - 専修大学経済学部卒業[1]。
●山形県東田川郡手向村︵後の羽黒町手向︶に転居。
●1937年 - 同村の村議会議員に当選し助役、村長代理を歴任する。
●1947年 - 山形県立鶴岡高等女学校︵現・山形県立鶴岡北高等学校︶ 教諭
●その後、同校教頭、鶴岡女子専門学校校長、荘内文化財保存会理事 就任。
●1973年 - 鶴岡女子専門学校校長 退任。
●1986年 - 羽黒町史編纂調査執筆専門委員長 就任。
●1997年 - 羽黒町名誉町民 推戴。
●2006年12月12日 - 肺炎のため死去する。享年101︵満100歳︶。
受賞歴[編集]
●1963年 - 高山樗牛賞
●1965年 - 山形県教育功労賞
●1972年 - 齋藤茂吉文化賞
●1974年 - 柳田賞
●1974年 - 鶴岡市市政功労者表彰
●1977年 - 勲五等・双光旭日章
●2005年 - 第12回 日本山岳修験学会賞
著作物[編集]
●﹁出羽三山縁年考﹂ 1926年
●﹁国宝建造物黄金堂に就いて﹂ 1936年
●﹁伝説と考証於竹大日如来﹂ 1938年
●﹁羽黒修験の経歴法階﹂ 1938年
●﹁神仏分離と出羽三山の信仰﹂ 1941年
●﹁三山雅集解題﹂ 1942年
●﹁羽黒山伏と民間信仰﹂ 1950年
●﹁庄内のミイラ﹂ 1963年
●﹁山村﹁大机﹂見聞記﹂ 1966年
●﹁山形県庄内地方における女性の地位﹂ 1966年
●﹁山形県庄内地方のシシ踊り﹂ 1967年
●﹁羽黒山の歳夜祭り﹂ 1969年
●﹁一山寺院について﹂ 1970年
●﹁羽黒山の絵札﹂ 1970年
●﹁羽黒山の松例祭﹂ 1970年
●﹁修験道と民俗﹂ 1972年
●﹁羽黒山二百話﹂ 1972年
●﹁日本の民俗6﹂ 1973年
●﹁湯殿山よもやまばなし﹂ 1973年
●﹁日本の民俗山形﹂ 1973年
●﹁出羽三山歴史と文化﹂ 1973年
●﹁出羽三山修験道の研究﹂ 1973年 ISBN 4-333-01237-6
●﹁ミイラ仏と出羽三山秘宝展﹂ 1973年
●﹁出羽三山の秘宝展﹂ 1974年
●﹁黒川能の歴史と風土﹂ 1974年
●﹁出羽三山のミイラ仏﹂ 1974年
●﹁出羽三山修験道と民間信仰﹂ 1975年
●﹁出羽三山と東北修験の研究﹂ 1975年 ISBN 4-626-01589-1
●﹁羽前の伝説﹂ 1975年
●﹁羽黒山秘話﹂ 1975年
●﹁出羽三山の絵札﹂ 1976年
●﹁大宝山・般若寺の歴史﹂ 1978年
●﹁櫛引町史﹂ 1978年
●﹁神道大系神社編32﹂ 1982年
●﹁東北の文化と出羽三山﹂ 1983年
●﹁鉄仏・葬頭河の優婆尊﹂ 1988年
●﹁櫛引町史黒川能史編﹂ 1990年
●﹁称願上人の念仏碑をめぐって﹂ 1992年
●﹁出羽修験の修行と生活﹂ 1993年 ISBN 4-333-01647-9
●﹁出羽三山と修験道 戸川安章著作集1﹂ 2005年 ISBN 4-87294-355-4
●﹁修験道と民俗宗教 戸川安章著作集2﹂ 2005年 ISBN 4-87294-356-2
●﹁鉄竜海上人伝﹂
●﹁校註 羽黒中興覚書﹂
●﹁羽黒山における芭蕉をめぐって - 奥の細道の風土3﹂
著作集[編集]
●﹁出羽三山と修験﹂ 2005年3月 ISBN 4-87294-355-4
●﹁修験道と民俗宗教﹂ 2005年3月 ISBN 4-87294-356-2
●﹁日本の聖域9﹂ 1982年 ISBN 4-333-01049-7
●﹁北海道・東北地方の民具﹂ 1982年9月
●﹁みちのく伝統文化3﹂ 1986年 ISBN 4-09-578003-7
●﹁仏教民俗学体系7﹂ 1992年 ISBN 4-626-01443-7
報告書[編集]
●﹁神社総合調査事例報告椙尾神社調査報告﹂ 1967年
●﹁奥の細道封人の家保存対策の調査報告書﹂ 1968年
●国立情報学研究所収録論文 国立情報学研究所
- ^ a b 日本著作権協議会 編『著作権台帳 第8版(文化人名録 昭和34年版)』日本著作権協議会、1959年、360頁。
- ^ 戸川安宣『ぼくのミステリ・クロニクル』(国書刊行会)P.80-81
- ^ 戸川安宣『ぼくのミステリ・クロニクル』(国書刊行会)P.80-81
- ^ 戸川安宣『ぼくのミステリ・クロニクル』(国書刊行会)P.80-81
- ^ 戸川安宣『ぼくのミステリ・クロニクル』(国書刊行会)P.80-81
- ^ 戸川安宣『ぼくのミステリ・クロニクル』(国書刊行会)P.80-81