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撰者の王嘉は、隴西郡安陽県の出身で、字は子年。当時、未来の事を予言する能力を持つ者として著名であったが、390年頃に、後秦の姚萇の機嫌を損ねて誅せられた。
王嘉が撰した原本は散佚しているが、南朝梁の蕭綺が、その遺文を蒐集して1書とした。その際に附された綺の序によれば、元来は19巻で220編であったとされるが、﹃晋書﹄﹁王嘉伝﹂に﹃拾遺録﹄10巻を撰したとするのとは一致していない。
また、現行本は東晋代の話まで収めるのも、蕭綺の序に﹁事は西晋末におわる﹂とあるのと一致しない。
﹃漢魏叢書﹄に収録されている。
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拾遺記