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日暮里大火 (1963年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日暮里大火
現場 日本の旗 日本東京都荒川区日暮里町
発生日 1963年4月2日
14時56分 (14時56分 - 21時58分)
類焼面積 5,098m²
原因 シンナーの入ったバケツを水が入っているものと勘違いし、火が付いたマッチを投棄
死者 なし
負傷者 220名
関与者 寝具工場の工員

196338421456[1]

22075,09836

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  • 出火の原因となったマッチ棒を投げ捨てた工員が、荒川警察署によって重失火罪で逮捕された。
  • 火勢拡大の原因となった特殊可燃物への対応として、貯蔵庫の構造を防火造りや耐火造りへ変更・野積み貯蔵に対する指導の強化・効果的な消火方法の検討などが行なわれた。
  • 黒煙や火の粉でを傷めた消防関係者が多く出たため、個人装備の充実が検討された。
  • 大火後、紙幣を金属容器内に保管する者が現れた。灰となった紙幣でも、日本銀行に持ち込めば灰の重量に応じて新しい紙幣と交換して貰えたためである。

脚注[編集]



(一)^ 

(二)^ 210.5m/s湿17 -P.549

(三)^ 41P -P.549

(四)^  -  201744

(五)^ P.6265087m2

参考文献[編集]

  • 東京消防庁『東京の消防百年の歩み』東京の消防百年記念行事推進委員会編、非売品、1980年

関連項目[編集]

  • 江戸の火事
  • 吉展ちゃん誘拐殺人事件 - 東京の公衆電話から被害者の家に脅迫電話があった1963年4月2日(大火の発生と同日)に、容疑者は東京にいなかったとアリバイを主張していたが、その後の取調べで「日暮里大火を山手線の車中から見た」と、実際には脅迫電話の当日に東京にいたことを認めた。

外部リンク[編集]