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江戸の火事

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
むさしあぶみ』より、明暦の大火当時の浅草門。牢獄からの罪人解き放ちを「集団脱走」と誤解した役人が門を閉ざしたため、逃げ場を失った多数の避難民が炎に巻かれ、塀を乗り越えた末に堀に落ちていく状況。

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年月日 名称
別称/通称
死者数 概略
1601年/慶長6年閏11月2日
1601年12月26日)
/(死者数不詳) 江戸で記録された最初の大火。被災状況は詳らかではないが、江戸全市を焼亡したという。( ウィキソースには、慶長見聞集の慶長6年の「江戸町大焼亡の事」原文があります。)
1641年/寛永18年1月29日か30日
1641年3月10日か11日)
桶町の大火 000400/死者数100人[7] 京橋桶町から出火し、烈風により延焼。焼失した町97・大名・旗本屋敷121。江戸の大半を焼失。鎮火の陣頭指揮を執っていた大目付加賀爪忠澄が煙に巻かれて殉職[8]。要請を受けて消火活動を行っていた相馬藩主・相馬義胤が落馬して重傷[7]。この大火がきっかけで、寛永20年防火体制の見直しが行われ、大名火消設置の契機となった[8]
1657年/明暦3年1月18日、19日
1657年3月2日、3日)
明暦の大火
振袖火事
107000/死者は最大で
10万7000と推計
山の手3箇所から出火し、両日とも北西風により延焼。江戸の大半が被災し江戸城天守も焼失した。江戸時代最大の被害を出した大火であり、江戸の都市計画消防制度に大きな影響を与えた。
1682年/天和2年12月28日
1683年1月25日)
天和の大火
八百屋お七の火事[注釈 6]
003500/死者830–3500 駒込大円寺から出火し、北西風により延焼。焼失した武家屋敷241・寺社95。
1698年/元禄11年9月6日
1698年10月9日)
勅額火事
中堂火事[注釈 7]
003000/死者3000 京橋南鍋町から出火し、南風により延焼。焼失した町326・武家屋敷308・寺社232・町家1万8700。
1704年/元禄16年11月29日
1704年1月6日)
水戸様火事 /(死者数不詳) 小石川水戸屋敷から出火し、火事の途中で風向きが変わった(南西風から北西風)ため被害が拡大した。焼失した武家屋敷275・寺社75・町家2万。この6日前の11月23日に起きた元禄地震に伴い市内各地で発生した火災と合わせると、焼失面積では明暦の大火を上回るものになるという[9]
1717年/享保2年1月22日
1717年3月4日)
小石川馬場火事 000100/死者100以上か 未の下刻に小石川馬場の武家屋敷から出火し[10]、西北風で延焼した。
1745年/延享2年2月12日
1745年3月14日)
六道火事 001323/死者1323[11] 午の上刻に千駄ヶ谷の青山六道辻から出火し[10]、北西風により延焼。焼失家屋2万8678。
1760年/宝暦10年2月6日
1760年3月22日)
宝暦の大火
明石屋火事
/(死者数不詳) 神田旅籠町の足袋屋・明石屋から出火し、北西風で延焼。日本橋、木挽町、さらに深川から洲崎まで焼失。460町、寺社80ヶ所焼失。
1772年/明和9年2月29日
1772年4月1日)
明和の大火
行人坂の火事
014700/死者1万4700
行方不明者4060
目黒行人坂大円寺から出火し、南西風により延焼。焼失した町904。
1806年/文化3年3月4日
1806年4月22日)
文化の大火
車町火事
牛町火事[注釈 8]
001200/死者1200 芝車町から出火し、南西風により延焼。焼失した町530・大名屋敷80・寺社80。
1829年/文政12年3月21日
1829年4月24日)
文政の大火
神田佐久間町の火事[注釈 9]
002800/死者2800 神田佐久間町から出火し、北西風により延焼。焼失家屋37万。
1834年/天保5年2月7日
1834年3月16日)
甲午火事 004000/死者4000 神田佐久間町から出火し、北西風により延焼。以後2月13日まで火事が連続して発生した。
1845年/弘化2年1月24日
1845年3月2日)
青山火事 000900/死者800–900 青山から出火し、北西風により延焼。焼失した町126・武家屋敷400・寺社187。消火活動の際、町火消の新門辰五郎率いる「を組」と久留米藩有馬家の有馬頼永率いる大名火消とが乱闘になり、死傷者が出た。
1855年/安政2年10月2日
1855年11月11日)
地震火事 026000/死者4500–2万6000 この日に起きた安政江戸地震にともない江戸市内の各所から出火して大火となった。

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1844 - 殿

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18596 - 殿

18633- 西殿

18673- 殿

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調使

西[ 10]

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人口増加[編集]

徳川家康

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西

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[ 20]8

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消防組織[編集]

東京名所八代洲町警視庁火消出初梯子乗之図(部分)、歌川広重(3代目)、明治維新後の火消出初式



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火付盗賊改[編集]


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便[46]

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殿93[ 36]

1016

脚注[編集]

注釈[編集]



(一)^ 西1[1]

(二)^ [3]

(三)^ [4]

(四)^ [5]

(五)^ 

(六)^ 

(七)^ 

(八)^ 

(九)^ 

(十)^  pp.85 - 90

(11)^ 調65050-70[14]

(12)^ 2186968.58%15.61%15.81%[14]

(13)^ 使[15]

(14)^ 稿2102[16]

(15)^ 31683[17]

(16)^ 

(17)^ 1湿49%75%66%61%西64%[19]

(18)^ 10西

(19)^ 西[20]

(20)^ [23]

(21)^ 

(22)^ [24]

(23)^ 11.97m[29]

(24)^ 21649[31]

(25)^ 

(26)^ [33]

(27)^ [34]

(28)^ [35]

(29)^ [36]

(30)^ [39]

(31)^ [40]

(32)^ [42]

(33)^ 10[44]

(34)^ 

(35)^ 1401000132400[45]

(36)^ 423[47]

出典[編集]



(一)^ P.5-P.20

(二)^ P.84

(三)^ abP.572

(四)^ P.3

(五)^ P.4

(六)^ P.198

(七)^ ab稿 461917p.65

(八)^ ab2024120

(九)^ P.33

(十)^ ab(1)152013387-110ISSN 1348-1118NAID 110009579146  p.104 

(11)^ 調 2007106120ISBN 9784096266069 

(12)^ P.54P.439

(13)^  西  2018 ISBN 978-4-10-610760-3 p.221.

(14)^ abP.18

(15)^ P.16

(16)^ P.28

(17)^ P.283

(18)^ P.63

(19)^ 1981-2000

(20)^ P.440

(21)^ P.14

(22)^ P.164

(23)^ P.15

(24)^ P.22

(25)^ P.247

(26)^ P.18

(27)^ P.146

(28)^ P.201

(29)^ P.195

(30)^ P.209

(31)^ P.210

(32)^ P.197

(33)^ P.16

(34)^ P.137

(35)^ P.29

(36)^ P.167

(37)^ P.12

(38)^ P.144

(39)^ abP.16

(40)^ P.17

(41)^ P.198

(42)^ P.261

(43)^ P.226

(44)^ P.130

(45)^ P.167

(46)^ P.14

(47)^ P.18

参考文献[編集]

  • 池上彰彦「江戸火消制度の成立と展開」『江戸町人の研究 第5巻』西山松之助編、吉川弘文館、1978年
  • 永寿日郎『江戸の放火』原書房、2007年
  • 小沢詠美子『災害都市江戸と地下室』吉川弘文館、1998年
  • 黒木喬『江戸の火事』同成社、1999年
  • 東京消防庁・江戸火消研究会監修『江戸三火消図鑑』岩崎美術社、1988年
  • 西山松之助編『江戸学事典』弘文堂、1994年
  • 西山松之助「江戸町人総論」『江戸町人の研究 第1巻』同編、吉川弘文館、1974年
  • 西山松之助「火災都市江戸の実体」『江戸町人の研究 第5巻』同編、吉川弘文館、1978年
  • 畑市次郎『東京災害史』都政通信社、1952年
  • 山本純美『江戸の火事と火消』河出書房新社、1993年
  • 吉原健一郎「江戸災害年表」『江戸町人の研究 第5巻』西山松之助編、吉川弘文館、1978年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]