徳島高速船
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(日本ホーバーラインから転送)
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
![]() 兵庫県神戸市中央区 |
設立 | 1973年 |
業種 | 海運業 |
事業内容 | 一般旅客定期航路事業 |
徳島高速船株式会社︵とくしまこうそくせん︶は、日本の海運会社。共正汽船のグループ企業で、徳島県徳島市と大阪府大阪市・兵庫県神戸市を結ぶ高速船を運航していた。
本項では同社の前身である日本ホーバーライン株式会社、及び同社の船舶を使用して徳島 - 和歌山の航路を運航していた、同一グループの徳島シャトルライン株式会社についても解説する。
なお、法人は存続しているが、2024年︵令和6年︶現在海運業からは撤退している。
概要[編集]
1973年︵昭和48年︶に共正海運と神戸船舶の共同出資により、日本ホーバーライン株式会社として設立され[1]、翌1974年︵昭和49年︶12月21日、徳島 - 大阪︵南港︶にホーバークラフト︵三井造船MV-PP5の11号艇と12号艇﹁赤とんぼ51号﹂﹁赤とんぼ52号﹂︶による航路を開設した。国内のホーバークラフトとしては最長航路であり、徳島阪神フェリーの所要時間3時間20分に対して1時間25分という画期的なスピードを誇ったものの、構造上波に弱く就航率は75%にとどまった[2]。加えて運賃・料金が高額[3]、航走中はシートベルト着用必須で座席から立てないなどの欠点もあって、1975年度の利用率は17.5%に低迷、累積赤字が3億7,000万円に達し、1976年︵昭和51年︶9月1日に休航となった[2]。これに先立って、1972年︵昭和47年︶から阪急内海汽船が水中翼船による徳島 - 神戸航路︵所要時間1時間45分︶を運航しており、結果的に見ると、20年余りの実績を残した水中翼船に対して、2年足らずで撤退を余儀なくされたホーバークラフトは完全な失敗であった。2隻のホーバークラフトはその後、大分ホーバーフェリー︵現在は廃止︶に売却された。 その後、社名を徳島高速船株式会社に変更し、1978年︵昭和53年︶から使用船を三井造船建造の双胴高速船に替えて[4]、徳島 - 大阪︵天保山︶の高速船航路として運航を再開した。当時、徳島 - 大阪間の交通機関としては、徳島阪神フェリー、徳島フェリー、南海四国ライン等があったが、いずれも都心間には4時間前後を要し、 徳島空港 - 大阪国際空港の航空便が速達需要に応えている状況であった[5]。当初1隻による一日3往復、所要時間2時間30分でスタートし、翌1979年︵昭和54年︶には2隻6往復・所要時間2時間となり、以降高速化、大型化と増便が続けられた。 1985年︵昭和60年︶には徳島シャトルライン株式会社が設立され、1986年︵昭和61年︶から既存の南海フェリーとの共同運航により、徳島 - 和歌山航路の運航を開始した。 1990年︵平成2年︶、阪急汽船︵旧・阪急内海汽船︶を系列化、以後神戸航路・鳴門航路と合わせた航路運営が行われるようになり、1993年︵平成5年︶11月に阪急汽船から徳島鳴門特急汽船に社名変更、1994年︵平成6年︶12月1日には経営合理化のため吸収合併した[6]。 1998年︵平成10年︶4月5日、明石海峡大橋の開通および神戸淡路鳴門自動車道の全通により、全航路の運航を終了した。 徳島 - 関空 - 大阪航路は、新たに設立された徳島関空ラインに継承されたが、2000年︵平成12年︶2月29日に航路廃止となった。 南海フェリーと共同運航を行っていた徳島 - 和歌山航路は、南海フェリーが単独で運航を継続したが、2002年︵平成14年︶1月31日に運航を終了、その後はフェリーのみの運航となっている。沿革[編集]
●1973年 - 共正海運と神戸船舶の共同出資により、日本ホーバーライン株式会社設立[1]。 ●1974年12月21日 - 徳島 - 大阪航路を開設、ホーバークラフト﹁赤とんぼ51号﹂﹁赤とんぼ52号﹂就航。 ●1976年9月1日 - 航路休止。 ●1978年 - 社名を徳島高速船株式会社に変更。 ●1978年7月1日[7] - 徳島 - 大阪航路を再開、高速船︵以下すべて︶﹁さんびーむ﹂就航。一日3往復、所要時間2時間30分。 ●1979年3月30日[8] - ﹁さんしゃいん﹂就航、所要時間を2時間に短縮。 ●1979年7月1日[9] - ﹁ぶるーすかい﹂就航、一日6往復に増便。 ●1985年 - 徳島シャトルライン株式会社設立[1]。 ●1986年2月10日 - 徳島シャトルライン﹁マリンシャトル﹂、徳島 - 和歌山航路に就航。南海フェリーと共同運航、一日8往復・所要時間1時間15分[10]。 ●1990年 - 阪急汽船を系列化。 ●1991年 - 徳島 - 大阪航路に﹁サンシャイン﹂﹁ソレイユ﹂就航、所要時間は1時間50分[11]、翌年1時間45分に短縮。 ●1993年7月26日 - 徳島 - 大阪航路、一日9往復に増便。所要時間1時間45分 - 47分[12]。 ●11月 - 阪急汽船、徳島鳴門特急汽船株式会社に社名変更。 ●1994年6月 - 沖洲マリンターミナルの竣工に伴い、徳島のターミナル移転。 ●9月4日 - 関西国際空港開港に伴い、寄港を開始。 ●12月1日 - 徳島鳴門特急汽船を吸収合併、大阪 - 神戸 - 鳴門、神戸 - 徳島の航路を継承。 ●1995年1月17日 - 阪神淡路大震災により、神戸発着全便が運休。 ●大阪・西宮 - 神戸の臨時航路に﹁ぶるーすたー﹂が就航[13]。 ●4月11日 - 神戸航路再開。発着場所は中突堤から高浜︵神戸ハーバーランド︶に変更された[14]。 ●7月1日 - 神戸 - 徳島航路を4往復から3往復に減便、1993年4月から運航を中止していた鳴門︵亀浦︶ - 三本松︵香川県大内町︶を廃止、神戸 - 鳴門︵撫養︶1往復、大阪 - 鳴門︵撫養︶4往復の計5往復を、大阪 - 鳴門の3往復に減便した。[15] ●徳島 - 大阪航路、一日12往復に増便[16]。 ●1998年4月5日 - 全航路の運航を終了。航路[編集]
便数はいずれも運航終了時点のものである。斜字は一部便のみ寄港。 日本ホーバーライン ●徳島港︵南沖洲︶ - 大阪港︵南港︶ 一日4 - 6往復、所要時間1時間25分︵東航︶ - 1時間30分︵西航︶ 徳島港は徳島阪神フェリーターミナル[17]の西側、大阪港は南港フェリーターミナル。 徳島高速船 ●徳島港︵沖洲マリンターミナル︶ - 関西国際空港 - 大阪港︵天保山︶ 12往復が運航されており、7.5往復が関西空港に寄港していた。徳島関空ラインへ継承され、8往復に減便して運航が継続された。 全期間に渡り、全船が徳島滞泊のダイヤであり、おおむね徳島発は6時 - 19時、大阪発は8時 - 21時の運航時間帯となっていた。 徳島では当初日本ホーバーライン以来の南沖洲のターミナルを使用、1994年に移動。 ●徳島港 - 鳴門港 - 神戸港 3往復が運航されており、1往復が鳴門港に寄港していた。 ●鳴門港 - 大阪港 3往復が運航されていた。 徳島シャトルライン ●徳島港 - 和歌山港 南海フェリーと共同運航。9往復が運航されていた。徳島高速船の撤退後は南海フェリー単独で5往復での運航が継続された[18]。船舶[編集]
日本ホーバーライン[編集]
●赤とんぼ51号 ●赤とんぼ52号 ︵共通︶1974年10月竣工、三井造船建造︵MV-PP5︶、全長16.0m、全幅8.6m、全高4.4m、全備重量14t、ガスタービン1基、機関出力1,050ps、最高速力約100km/h、旅客定員48名、同型船としては初めてトイレが設置された[19]。 航路休止後は三井造船を経て大分ホーバーフェリーに売船された[20]。徳島高速船[編集]
社名変更以降は、阪急汽船出自の水中翼船を除き、三井造船製の双胴高速船を一貫して使用していた。
●さんびーむ[21]
1978年6月20日竣工、三井造船千葉事業所建造、191.4総トン、全長26.471m、型幅8.800m、主機出力2,250ps、航海速力25ノット、旅客定員182名。
●さんしゃいん[22]
1979年3月20日竣工、三井造船千葉事業所建造︵CP-20HF︶、275.02総トン、全長32.80m、全幅9.20m、主機出力5,080ps、航海速力30ノット、旅客定員195名。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6e/Bluesky_Tokushimakousokusen.jpg/220px-Bluesky_Tokushimakousokusen.jpg)
ぶるーすかい (1986年)
●ぶるーすかい[23]
1979年6月竣工、三井造船千葉事業所建造︵CP-20HF︶、275.35総トン、全長32.80m、全幅9.20m、主機出力5,080ps、航海速力30ノット、旅客定員195名。
引退後、久米島フェリーに売船。
●マリンシャトル
南海フェリーの﹁マリンホーク﹂︵三井スーパーマランCP30︶の改良型︵CP30MkII︶で、諸元はほぼ同一ながら操舵室・甲板室の形状および配置が異なる。
1986年2月10日竣工、2月19日就航︵徳島シャトルラインへ用船︶、三井造船千葉事業所建造、共正汽船・徳島高速船所有、船舶整備公団共有船[24]
268総トン、全長41.0m、垂線間長36.9m、幅10.8m、深さ3.4m、満載喫水1.4m、池貝 16V190ATC 2基、連続最大出力5,500ps、最高速力34ノット、航海速力32ノット、旅客定員280名、乗組員4名
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ad/Bluestar_Tokushimakousokusen.jpg/220px-Bluestar_Tokushimakousokusen.jpg)
ぶるーすたー (1988年)
●ぶるーすたー[25]
1987年6月竣工、三井造船玉野事業所建造、275総トン、全長41.00m、全幅10.80m、主機出力5,260ps、航海速力31.50ノット、旅客定員280名。
船舶整備公団との共有船。
●さんらいず[25]
1987年7月竣工、三井造船玉野事業所建造、275総トン、全長41.00m、全幅10.80m、主機出力5,260ps、航海速力31.50ノット、旅客定員280名。
船舶整備公団との共有船。
●サンシャイン[25]
1991年6月竣工、三井造船玉野事業所建造、299総トン、全長43.20m、全幅10.80m、主機出力7,200ps、航海速力36.8ノット、旅客定員300名。
●ソレイユ[25]
1991年9月竣工、三井造船玉野事業所建造、297総トン、全長43.20m、全幅10.80m、主機出力7,200ps、航海速力36.50ノット、旅客定員300名。
共正汽船・神戸船舶との共有船。引退後、瀬戸内海汽船に売船。
●ぽーらすたー[25]
1993年3月竣工、三井造船玉野事業所建造、296総トン、全長43.20m、全幅10.80m、主機出力7,200ps、最高速力41.43ノット、航海速力36.80ノット、旅客定員300名
船舶整備公団との共有船。引退後、東海汽船に売却され、アルバトロスとなる。
●びーなす[25]
1993年7月竣工、三井造船玉野事業所建造、295総トン、全長43.20m、全幅10.80m、主機出力7,200ps、旅客定員300名。
船舶整備公団との共有船。引退後、五島産業汽船に売却され、びっぐあーす2号となる。
●ねぷちゅーん[25]
1995年6月竣工、三井造船玉野事業所建造、290総トン、全長43.21m、全幅10.80m、主機出力7,200ps、旅客定員300名。
南海フェリー・船舶整備公団との共有船。引退後、五島産業汽船に売却され、びっぐあーすとなる。
●ほうしょう[25]
1983年1月竣工、日立造船神奈川工場建造(PT-50)、128.04総トン、全長27.5m、全幅5.84m、主機出力2,500ps、旅客定員123名。
阪急汽船が建造した水中翼船で、合併に伴い継承。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6e/Bluesky_Tokushimakousokusen.jpg/220px-Bluesky_Tokushimakousokusen.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ad/Bluestar_Tokushimakousokusen.jpg/220px-Bluestar_Tokushimakousokusen.jpg)
事故・インシデント[編集]
●1992年5月23日 - ﹁ソレイユ﹂が大阪港天保山東岸壁で岸壁に接触した。﹁ソレイユ﹂は右舷船首部を破損、旅客78名・乗組員4名は負傷者なし[26]。 ●1993年3月7日 - ﹁サンシャイン﹂が友ヶ島水道を航行中に大波を受け、2階グリーン室の窓ガラス2枚が破損、旅客120名・乗組員4名のうち乗客1名が軽傷を負った[27]。 ●1993年10月19日 - ﹁ぶるーすたー﹂が徳島港内で貨物船﹁栄吉丸﹂と衝突した。﹁ぶるーすたー﹂は左舷船首部に長さ約2.8mの亀裂を含む凹損を生じ、旅客46名・乗組員4名のうち旅客4名が軽傷を負った[28]。脚注[編集]
(一)^ abc“HISTORY”. 共正海運. 2023年1月13日閲覧。
(二)^ ab﹃徳島年鑑﹄1977年版,徳島新聞社,1977.6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9770040 (参照 2024-04-22)
(三)^ 片道4,300円。徳島阪神フェリー2等運賃940円の4倍以上であり、航空運賃4,700円に近かった。﹃交通公社の時刻表﹄1975年10月号 (日本交通公社)による。
(四)^ ﹃業務要覧﹄昭和53年版,神戸海運局,[1978]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12064365 (参照 2024-04-22)
(五)^ 東亜国内航空によって一日11往復運航(所要時間30分)。﹃交通公社の時刻表﹄1978年8月号 (日本交通公社)による。
(六)^ “阪神-徳島間を結ぶ高速船2社合併へ︻大阪︼”. 朝日新聞 (朝日新聞社): pp. 3総. (1994年11月29日)
(七)^ 交通公社の時刻表 1978年8月号 (日本交通公社)
(八)^ 交通公社の時刻表 1979年4月号 (日本交通公社)
(九)^ 交通公社の時刻表 1979年7月号 (日本交通公社)
(十)^ 全国フェリー・旅客船ガイド 1987年上期号 (日刊海事通信社 1986)
(11)^ JTB時刻表 1992年3月号 (日本交通公社)
(12)^ JTB時刻表 1993年8月号 (日本交通公社)
(13)^ 1995年1月配布の﹁当面の間の時刻表﹂によると大阪航路では一日4往復を運航、他に共同汽船10往復、大阪水上バス2往復、アーバンクルーザー2往復がそれぞれ運航されていた。
(14)^ JR時刻表 1995年5月号 (弘済出版社)
(15)^ “運輸省神戸海運監理部、神戸ー徳島航路減便など申請認可。”. 日本経済新聞 地方経済面 四国 12ページ. (1995年7月1日)
(16)^ JTB時刻表 1996年1月号 (日本交通公社)
(17)^ 現在の南海フェリー発着場所
(18)^ “高速船時代の南海フェリー”. www.traffic-tokushima.jp. 2023年6月18日閲覧。
(19)^ 国土交通省海事局 監修﹃船の科学﹄27(11)(312),船舶技術協会,1974-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3231749 (参照 2024-04-22)
(20)^ 日本船舶明細書 1985 (日本海運集会所 1984)
(21)^ 船の科学 1978年9月号 P.16 (船舶技術協会)
(22)^ 船の科学 1979年5月号 P.17 (船舶技術協会)
(23)^ 日本船舶明細書 1988 (日本海運集会所 1988)
(24)^ 世界の艦船︵1986年5月号,p137︶
(25)^ abcdefgh日本船舶明細書 1996 (日本海運集会所 1995)
(26)^ “大阪港岸壁に徳島の旅客船が接触 けが人なし︻大阪︼”. 朝日新聞 (朝日新聞社): pp. 1社. (1992年5月24日)
(27)^ “高速船の窓割れ、1人けが 和歌山沖︻大阪︼”. 朝日新聞 (朝日新聞社): pp. 1社. (1993年3月8日)
(28)^ “旅客船と貨物船衝突し4人けが--徳島港”. 毎日新聞 (毎日新聞社): pp. 31社会. (1993年10月9日)