木戸正二郎
木戸 正二郎︵きど しょうじろう、文久元年8月12日︵1861年9月16日︶ - 明治17年︵1884年︶10月28日︶は、明治時代前期の華族。来原良蔵の次男。母は木戸孝允の妹・治子。木戸孝允の養嗣子。
生涯[編集]
慶応2年︵1866年︶5月18日、伯父である木戸寬治︵孝允・桂小五郎︶の養子となり、桂正二郎と称す。桂家では2年前の禁門の変で養子の勝三郎を失っていた。 明治4年︵1871年︶2月23日、大蔵省出仕、造幣寮事務修業のため、豊原百太郎、岡村篤馬、児玉勝之助・山口武とイギリス留学を命じられ、6月5日横浜港出帆。明治6年︵1873年︶、留学先のロンドンから自身の写真を送り、裏面に﹁木戸母上様﹂﹁父上様﹂と書かれている。 明治8年︵1875年︶5月1日、イギリスから帰国。同年11月17日、実母の治子が大阪で死去。明治9年︵1876年︶9月、帰国後に入学した第一大学区東京英語学校下等科を卒業。家督相続[編集]
明治10年︵1877年︶5月26日、養父・孝允が京都にて病没し、8月7日、16歳の正二郎が家督相続する。明治11年︵1878年︶5月21日、華族に列す。6月、毛利元徳に正二郎の後見が依頼される。 明治13年︵1880年︶3月17日、ドイツ留学を許可される。ベルリンの兵学校で学ぶ。明治17年︵1884年︶7月7日、侯爵を授けられる。同年10月28日、帰国途中、セイロン島付近の船中で肝臓病のため死去。24歳没。墓所は多磨霊園。 同年11月18日、実兄の来原彦太郎が木戸家の相続人となり、20日に孝正と改名。 木戸家には、幼少期からの成長過程を、養父母の孝允・松子とともに写る正二郎の写真が多数残されている。参考文献[編集]
- 『企画展示 侯爵家のアルバム-孝允から幸一にいたる木戸家写真資料-』 国立歴史民俗博物館、2011年3月1日。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
侯爵 木戸(孝允)家初代 1884年 |
次代 木戸孝正 |