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李進熙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

  1929 - 20124151984

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1948
10 

12 

194911

1950 

1955 

1957 

1961  ()

1971 退

1984 

1994 

2003
3 退

4 

[1]

2012415[2]

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1319721975 - 19881989 - 1996寿

2005199012

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1970
好太王碑文改竄説
発表当時(1972年)に流布していた数十例の日本・中国・朝鮮の碑文写真や拓本を精査して編年を行ない、当時の拓本のほとんどが碑面に石灰を塗布して改竄した新しい碑文から拓出されたものであるという指摘であり、5世紀の朝鮮半島に日本が権益を有していたように捏造するために、広開土王碑文の拓本を持ち帰った日本軍部が碑面に石灰を塗布して倭・任那関係の記事の改竄を行ったとするものである。その後の原石拓本の発見によりこうした改竄のなかったことが確認され、逆に朝鮮・韓国の学者の読み替えが批判されることともなった。
江田船山古墳出土大刀主体者百済王説
江田船山古墳出土大刀の銀象嵌銘の主体者は百済蓋鹵王と解釈し、九州が韓国の領土であったと主張している。(一般的には大刀銘の主体者は獲加多支鹵大王(倭王武、雄略天皇) とする説が主流である。)

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1962
 1964

 1972
  1974

 1974 ISBN 4-06-183578-5
 1985 ISBN 406-1835785

 1977

寿 1979

 1980

NHK1980
 1995 ISBN 4140017333

1988 ISBN 4311201400
 2002 ISBN 4-311-20259-8

1990

使1987 ISBN 4062034271
使1992 ISBN 4061590391

使1992

 7寿 1993

1995 ISBN 4641182361

1997 ISBN 4879240788
 2002ISBN 4879240850

 1997 ISBN 487924077X

 2000 ISBN 4879240826

2003 ISBN 4879240877

2006 ISBN 4879240907

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199612使

1962-19715[3]

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 2000 ISBN 4879240826

161988 ISBN 4-634-31160-7

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  1. ^ 「歴史学者の李進煕氏死去…広開土王碑文の改ざん説を提起」 民団新聞 2012.4.25
  2. ^ 訃報:李進熙さん82歳=考古学者、和光大名誉教授”. 2012年4月16日閲覧。
  3. ^ 李進熙『海峡 ある在日史学者の半生』青丘文化社、2000年、 p.77, p.143