東村 (群馬県)
この項目では、群馬県にかつて複数の東村︵あずまむら、あづまむら︶が存在していたことについて記述する。
ひとつの県に同名の市町村があることは珍しいことだが、群馬県では1889年の町村制施行に伴い、5ヶ所の﹁東村﹂が新設された。群馬・利根の2郡にあった東村は1950年代の昭和の大合併によって廃止されたが、佐波・勢多・吾妻の3郡にあった東村は2005-2006年の平成の大合併で廃止されるまで存続していた。多数の東村が設立されたのは、ヤマトタケルが東征の帰路で﹁アズマハヤ︵わが妻よ︶﹂と亡き妻を偲んだ伝説に由来すると考えられている[1][2]。
混同を避けるため、群馬県内では﹁勢多東﹂のように郡名を添えて区別していた[1]。勢多郡東村︵現みどり市︶の富弘美術館を訪れようとした観光客が、誤って吾妻郡東村︵現東吾妻町︶に来てしまうということもあった[2]。
●群馬郡東村は、1954年︵昭和29年︶4月1日の前橋市への編入に伴い廃止された。今日の市の南西部、JR新前橋駅から南の一帯にあたる。
●利根郡東村は、1956年︵昭和31年︶9月30日に利根郡赤城根村と合併し利根村︵2005年に沼田市と合併︶となり廃止された。
●佐波郡東村は、2005年︵平成17年︶1月1日に伊勢崎市との合併により廃止された。
●勢多郡東村は、2006年︵平成18年︶3月27日に山田郡大間々町、新田郡笠懸町と合併しみどり市となり廃止された。
●吾妻郡東村は、2006年︵平成18年︶3月27日に吾妻郡吾妻町と合併し東吾妻町となり廃止された。読み仮名は﹁あづまむら﹂と表記された[1]。