検見川送信所
検見川送信所︵けみがわそうしんじょ、検見川無線送信所︶は、千葉県千葉郡検見川町に位置する逓信省、日本電信電話公社の無線電信所である。本館は逓信建築の代表作で現存する。
解説[編集]
対外国通信を目的とした施設で、日本で初めて短波による標準電波を送信した施設である。 1926年︵大正15年︶4月に東京無線局検見川送信所として開局する。本館のデザインは表現主義的な傾向を持つ初期モダニズム建築で、東京中央郵便局を設計した逓信省技師の吉田鉄郎が設計した。 1930年︵昭和5年︶10月27日に、ロンドン軍縮条約締結に当たり、濱口雄幸内閣総理大臣が記念演説を行い、濱口の演説をアメリカ合衆国とイギリスへ向けて送信した。アメリカ合衆国からハーバート・フーヴァー第31代大統領、イギリスからラムゼイ・マクドナルド首相の演説を受信し、日本各地へラジオ放送を発した送信所でもあった。 太平洋戦争中は南方の占領地との通信拠点だった。 日本電信電話公社の無線送信所として使用されたのち、1979年︵昭和54年︶に施設を廃止した。 千葉市が中学校用地として敷地を取得し、本館の建物も取り壊される方針であったが、2007年︵平成19年︶8月に発足した﹁検見川送信所を知る会﹂が中心となって保存運動を展開した。のちに市は当初の方針を見直し、保存の方針を示している。2013年︵平成25年︶に文化財調査したが、2019年︵令和元年︶時点で文化財に指定されておらず活用方針も未定である。沿革[編集]
●1926年︵大正15年︶4月1日 - 東京無線局検見川送信所として開局する。 ●1930年︵昭和5年︶10月27日 - 濱口雄幸総理のロンドン軍縮条約締結記念放送を、日本初の国際放送として放送する。現在のNHKワールド・ラジオ日本の前身となる。 ●1934年︵昭和9年︶4月29日 - 国際放送を名崎送信所へ移管する。 ●1937年︵昭和12年︶ - 本館の第2期工事で増築する。 ●1940年︵昭和15年︶1月30日 - 短波JJYを開設する。 ●1952年︵昭和27年︶8月1日 - 日本電信電話公社発足に伴い公社の検見川無線送信所となる。 ●1979年︵昭和54年︶9月2日 - 業務の全てを名崎送信所へ移管して廃止する。 ●1986年︵昭和61年︶1月 - 検見川・稲毛地区土地区画整理事業として、送信所跡地を含む周辺を一体に造成する計画が認可される。2019年︵令和元年︶現在、継続している。 ●2008年︵平成20年︶ ●3月 - 敷地内の土地を学校用から宅地用に計画変更。 ●6月30日 - DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築の126番に選定される。 ●8月30日 - ﹁千葉市指定文化財﹂化を目指してイベントを開催する。 ●2009年︵平成21年︶3月24日 - 送信所の一部外壁や仮設トイレの重機による破壊が発見[1]される。 ●2013年︵平成25年︶ - 千葉市が旧検見川無線送信所文化財調査を実施する。 ●2016年︵平成28年︶ - 屋上防水工事を実施[2]する。脚注[編集]
- ^ 2009年3月25日「検見川送信所」の外壁損壊 何者かが侵入、重機で」
- ^ 「知る会」ニュースより[1]
関連項目[編集]
- 海軍無線電信所船橋送信所
- 銚子無線電報局
- 千葉アートネットワーク・プロジェクト - 2000年 - 2002年に本施設跡を利用して実施した「アートプロジェクト検見川送信所」が母体となった。
外部リンク[編集]
座標: 北緯35度38分46.3秒 東経140度4分27.4秒 / 北緯35.646194度 東経140.074278度