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金幣社 榊山神社︵さかきやまじんじゃ︶は、岐阜県中津川市福岡に鎮座する神社。旧社格は郷社。
●建速須佐之男命
●天照大神
●伊邪那美之命
明治24年(1891年)8月に書かれた由緒書によると、創建は養老2年︵718年︶6月に荒田栄久の勧請とされる。
荒田栄久の家の庭に、突然、七本の杉苗が天から降った。その時、荒田家の童子が、
﹁吾ハ津島牛頭天王ナリ。此ノ所ニ住ンデ長ク荘内ヲ護ラン、其ノ印ニ杉苗ヲ置ケリ﹂と神託を話した。
そこで荒田栄久は杉苗を植えて森として社殿を築き、﹁飛天王﹂と称して牛頭天王を氏神として尊崇した。
また、この出来事が地名の植苗木︵現・中津川市立福岡小学校付近︶の由来となった。
鎌倉時代の元弘・建武年間に、遠山一雲入道は広恵寺城より巽の方向の木曽川に臨む要害の地である高森に城を築くと、﹁植﹂の字を省いて苗木とした。
以降、苗木遠山氏により保護された。鎌倉時代末期から南北朝時代頃、広恵寺城に宗良親王が身を寄せていたという言い伝えがある。敵軍に攻められた際に、遠山景利が飛天王に祈ると、社殿から敵軍に矢が放たれ、たちまち暴風雨がおきて敵軍が退散したという。
戦国時代の天文年間、遠山直廉が苗木城を築城すると、飛天王も苗木城に移転しようとしたが、神体が途中で動かなくなった。直廉はこの地に飛天王を祀ることにし、天文10年︵1541年︶に新たな社殿を築いた。これが現社地である。
江戸時代には苗木藩の保護を受けた。
明治元年︵1868年︶に榊山神社に改称する。
上苗木の飛天王の跡地には、明治32年︵1899年︶植苗木神社が創建されている。
現在の建物の大半は昭和11年︵1936年︶の再建である。
●毎年7月第4土・日曜日の例祭は、﹁たたき祭り﹂という。巫子による舞、神への祝詞が奉上されると、氏子の代表らが参拝者を榊で叩いていくものである。
●天文年間、遠山直廉が飛天王を苗木城に移転しようとした際に、この地で御神体が動かなくなってしまった。家臣たちは最後の手段として榊の枝で供の者を叩いたが御神体は動かなかったという。﹁たたき祭り﹂は、この言い伝えに由来する。詳細‥榊山神社
文化財[編集]
重要文化財[編集]
●太刀 銘 吉則[1] - 南北朝時代の山城国の刀工・三条吉則の作で、﹁吉則﹂二字銘があり、﹁吉則の太刀﹂と呼ばれている。第12代苗木藩主遠山友禄の寄進である。1928年に重要文化財に指定され[1]、現在は中津川市苗木遠山史料館に寄託されている。
中津川市指定文化財[編集]
●榊山神社 本殿[2]
●榊山神社 拝殿[2]
●榊山神社 石灯籠[3]
●榊山神社 乃木希典筆跡︵記念碑︶[4]
交通機関[編集]
●北恵那交通付知峡線﹁福岡総合事務所前﹂下車。
外部リンク[編集]
●榊山神社公式ホームページ
参考文献[編集]
﹃福岡町史 通史編 下巻﹄ 第九章 宗教 第二節 町内に鎮座の各神社 榊山神社 p961~p962 福岡町 1992年