水主神社 (城陽市)
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水主神社 | |
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拝所(後方は本殿) | |
所在地 | 京都府城陽市水主宮馬場1 |
位置 | 北緯34度50分36秒 東経135度45分41秒 / 北緯34.84333度 東経135.76139度座標: 北緯34度50分36秒 東経135度45分41秒 / 北緯34.84333度 東経135.76139度 |
主祭神 |
天照御魂神 天香語山命 山背大国魂命 |
社格等 |
式内社(大) 旧府社 |
創建 | 崇神天皇の御代 |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 11月中旬日曜日 |
地図 |
水主神社︵みずしじんじゃ︶は、京都府城陽市水主宮馬場に鎮座する神社である。式内大社で、旧社格は府社。
祭神[編集]
由緒によると、現在祀られている祭神は以下の十柱であるとする。 ●天照御魂神 ●天香語山命 ●天村雲神 ●天忍男神 ●建額赤命 ●建筒草命 ●建多背命 ●建諸隅命 ●倭得玉彦命 ●山背大國魂命 しかし、﹃全国神社祭祀祭礼総合調査﹄によると、祭神は以下の五柱とある。 ●天照御魂神 ●天香語山命 ●山背大国魂命 ●大縫命 ●小縫命 ﹃延喜式神名帳﹄によると、﹁水主神社 十座 並大 月次新嘗 就中同水主坐天照御魂神水主坐山背大国魂命神二座預相嘗祭﹂とあることから、当初は祭神が十柱いたこと、そのうちの二柱が天照御魂神、山背大国魂命であることが窺える。歴史[編集]
創建[編集]
社伝によると、崇神天皇の時代、豊鋤入姫命をして天照大神を倭笠縫邑に遷し、また淳名城入姫命をして、倭大国魂命を倭、山背大國魂命を山背の二国に祀らしめたとし、このうち山背に奉斎したのを当社とする。﹃新撰姓氏録﹄︵815年︶に﹁山城国神別 水主直 火明命之後也﹂とあることから、本来はこの水主直が祖神である天火明神︵天照御魂神︶を奉斎した神社と推測される。概史[編集]
天安2年︵858年︶に雨乞、貞観元年︵859年︶には風雨祈祷がされるなど、国史では当社への祈雨奉幣のの記事が散見され、更に﹃延喜式﹄臨時祭では祈雨神祭八十五座に選定されているなど、祈雨に対し霊験が強いとされていた。﹃延喜式神名帳﹄では大社に列格した。神階[編集]
●天安3年︵859年︶1月27日、従五位上から従四位下︵﹃日本三代実録﹄︶- 表記は﹁水主神﹂ ●貞観8年︵866年︶11月20日、従四位下から従四位上︵﹃日本三代実録﹄︶- 表記は﹁水主神﹂境内[編集]
拝殿より奥は鉄格子に守られており、本殿や境内社も含めいずれもその中にあるため、本殿前まで近寄ることはできない。正面に水主神社本殿があり、左側に樺井月神社︵後述︶、右側に衣縫神社が鎮座する。-
本殿
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拝殿
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衣縫神社
樺井月神社[編集]
樺井月神社 | |
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所在地 | 京都府城陽市水主宮馬場1 |
位置 | 北緯34度51分17秒 東経135度47分22.4秒 / 北緯34.85472度 東経135.789556度 |
主祭神 | 月読命 |
社格等 | 式内社(大) |
創建 | 不詳 |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 2月20日 |