永尾神社
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永尾神社 | |
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所在地 | 熊本県宇城市不知火町永尾615 |
位置 | 北緯32度37分54.2秒 東経130度36分57.9秒 / 北緯32.631722度 東経130.616083度座標: 北緯32度37分54.2秒 東経130度36分57.9秒 / 北緯32.631722度 東経130.616083度 |
主祭神 |
海童神(わだつみのかみ) 他四柱 |
社格等 | 村社 |
創建 | 713年(和銅6年) |
別名 |
剣神社 永尾剣神社 |
例祭 |
八朔祭(旧暦の8月1日) 秋の大祭(11月15日) |
地図 |
永尾神社︵えいのおじんじゃ︶は、熊本県宇城市不知火町永尾にある神社である。旧社格は村社。不知火海︵八代海︶を望む海中に建つ鳥居があることでも知られる。
由緒[編集]
713年︵和銅6年︶、元命天皇の勅願により、国郡鎮護のため創建された。社伝によると、かつて海童神が、はるかかなたより﹁えい﹂の背中に乗ってやってきて、この地に鎮座したと伝わる[1][2]。神社が鎮座する北側の鎌田山から鎮座地にかけての地形が、不知火海側から見ると﹁えい﹂が山に向かって横たわっているように見え、神社の場所が﹁えい﹂の 尾︵しっぽ︶の位置にあたるため、﹁永尾︵えいのお︶﹂と呼ばれるようになった[2]。また、﹁えい﹂の尾が剣状であるため、別名が剣神社とよばれている[3]。伝説では、太古に海童神を乗せた巨大な﹁えい﹂が、不知火海から神社鎮座地の宇土半島を乗り越えようとすると、巨大な網で行く手を阻まれ引き返すこともできず、その場に鎮座し﹁えい﹂の尾の先に神社が建立されたと伝わる[2]。諸説あるが、その網を引いた場所に、網津、網引、網田の地名がついたともいわれている[2]。氏子のなかには﹁えい﹂は神の眷属として食べ無い者がいる[2]。特に胃腸病平癒の御神徳の神として崇められている[4]。不知火海を望む海中に鳥居が立つ。 毎年、旧暦の8月1日に行われる八朔祭は、不知火出現の日と重なるため、小高い丘にあり眺めの良い境内には、多くの参拝客が訪れる。御祭神[編集]
以下の神々を祀る[2]。-
不知火海を望む海中鳥居
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高台にある境内への参道石段
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参道最上段にある鳥居
例大祭[編集]
●夏の大祭︵八朔祭︶ - 八朔の日︵旧暦の8月1日︶。前夜に﹁不知火・海の火まつり﹂が宇城市不知火町の松合新港や永尾神社一帯で開催される[2]。 ●秋の大祭 - 11月15日出典[編集]
(一)^ 不知火町史編纂委員会編 ﹃不知火町史﹄ 不知火町、1972年、534頁 (二)^ abcdefg参拝者配布の略縁起による。 (三)^ 不知火町史編纂委員会編 ﹃不知火町史﹄ 不知火町、1972年、576頁 (四)^ 熊本日日新聞編纂・発行 ﹃熊本県大百科事典﹄、1982年、89頁参考文献[編集]
●下益城郡教育支会編 ﹃下益城郡誌﹄ 1922年、︵名著出版復刻、1973年、臨川書店︶ ●鈴木喬編 ﹃熊本の神社と寺院﹄ 熊本日日新聞社、1980年、88-89頁 ●日本歴史地名大系44﹃熊本県の地名﹄平凡社、1985年 ●角川日本地名大辞典編纂委員会編﹃角川日本地名大辞典43熊本県﹄角川書店、1987年、206-207頁関連項目[編集]
●不知火外部リンク[編集]