江守栄作
江守 栄作︵えもり えいさく、1903年5月7日 - 1987年4月2日[1]︶は、北海道札幌市生まれの実業家、スケート選手。
来歴・人物[編集]
明治36年︵1903年︶札幌生まれで豊水小学校卒。大正7年︵1918年︶にスケートを始め、大正13年︵1924年︶ロシアのフィギュアスケートの極東大会で優勝[2]。その後アイスホッケーを始める。 ウラジオストックロシア語学校高等科を卒業した後、貿易会社に就職、ウラジオストック支社長を務めた。 昭和14年︵1939年︶にトレーニング中のアクシデントから敗血症にかかり左足切断。その後は後進の育成に力を注ぎ、昭和58年︵1983年︶東京都アイスホッケー連盟会長に就任。 昭和21年︵1946年︶北海道札幌市で、清原叡・江守栄作・高野庄次郎・多和田四郎の4名で各種分析機器の開発販売会社(株)三和電気科学研究所を設立。各人のイニシャルをとり商標をKett︵ケツト︶とした︵現・株式会社ケツト科学研究所︶[3]。その際、江守は代表取締役に就任した。 昭和60年︵1985年︶私財を投じて故郷札幌にアイスホッケーリンクを建設し、札幌市に寄贈した。この札幌市星置スケート場には、﹁江守記念﹂の文字が冠されている。昭和62年︵1987年︶、勲五等瑞宝章を受章。同年他界。 神奈川県のアイスホッケークラブチーム﹁横浜ケッターズ﹂の名誉会長である[4]。日ソ交流協会︵現・日ロ交流協会︶の会長も務めた[5]。著作[編集]
- 江守栄作、河久保子朗訳『パニンのスケート』1927年
脚注[編集]
- ^ 日外アソシエーツ発行「北海道人物・人材情報リスト2007」による
- ^ “札幌のアイスホッケー略年史 1924年(大正13年) 江守栄作”. 札幌アイスホッケー連盟. 2012年5月28日閲覧。
- ^ 株式会社ケツト科学研究所 会社履歴
- ^ 横浜ケッターズ チームプロファイル
- ^ 沿革 日ロ交流協会