北島良子
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(江田良子から転送)
北島 良子︵きたじま りょうこ、1976年6月12日 - ︶は、秋田県秋田市出身の女子陸上競技︵長距離走・マラソン︶選手・指導者・トレイルランナー。
秋田県立秋田北高等学校、城西短期大学卒業。
略歴[編集]
短大卒業後、みずほ銀行︵入社当時は富士銀行︶へ入社し陸上競技部に所属するも、2004年に陸上競技部が廃部。その後ヤマダ電機女子陸上部へ移籍。 初マラソンは1998年のベルリンマラソンで2時間36分55秒で8位[1]。4年後の2002年大阪国際女子マラソンで2時間29分20秒で6位[2]。2年後の2004年大阪国際女子マラソンは2時間31分18秒で再び6位[3]。 2004年2月に結婚し、姓名登録を北島から﹁江田︵えだ︶良子﹂へ変更。なお結婚後も平日はヤマダ電機の寮で、週末は夫と生活しながら競技を続けていた。 当初はマラソン選手で最後の大会として出場だった、2005年名古屋国際女子マラソンでは、自身終盤まで原裕美子︵優勝︶・大島めぐみ︵2位︶らと先頭を争った。マラソン初優勝はならずも、自己記録を4分以上更新の2時間24分54秒で3位入賞[4]。その後、2005年8月にヘルシンキで開催の世界陸上選手権・女子マラソン日本代表選出[5]、現役続行となった。 世界陸上ヘルシンキ大会の女子マラソン本番は、優勝したポーラ・ラドクリフらハイペースの先頭集団についていかず、レース後半追い上げるも2時間31分16秒の17位に終わった[6]。そして2005年10月14日付でヤマダ電機陸上部を退部し、一時的に選手活動から離れていた。 その後は2児を出産。母として育児する傍ら、2007年から2011年の4年間、レッズランドのスクール︵ランニングプロジェクト︶で、陸上競技指導者を務めた[7]。 2011年4月にスポーツエイド・ジャパンに所属し﹁ランニング塾﹂を2年間担当[8]、2013年4月よりRUN塾を開講、現在は主にトレイルランナーで活動中[8]。 ほか2015年2月の東京マラソンでは、20ポンドの重りを背負って42.195kmを3時間22分53秒で完走し、ギネス世界記録を更新した。 しかし2015年に夫と離婚し、旧姓の﹁北島良子﹂に戻った事を自身のブログに記載している[9][10]。自己ベスト[編集]
- 5000m 15分57秒64(神戸女子選抜長距離大会・2001年10月14日)
- 10000m 32分29秒79(全日本実業団・2001年9月29日)
- ハーフマラソン 1時間11分22秒(全日本実業団ハーフ・2001年3月11日)
- マラソン 2時間24分54秒(名古屋国際女子マラソン・2005年3月13日)
脚注[編集]
(一)^ Athlinks. “Berlin Marathon Results 1998”. 2013年12月1日閲覧。
(二)^ 関西テレビ. “第21回 大阪国際女子マラソン10位までの結果”. 2013年12月1日閲覧。
(三)^ 関西テレビ. “第23回 大阪国際女子マラソン10位までの結果”. 2013年12月1日閲覧。
(四)^ 中日新聞. “第26回大会 名古屋国際女子マラソン”. 2013年12月1日閲覧。
(五)^ 共同通信 (2005年3月14日). “高岡、弘山ら代表決定8月の世界選手権マラソン”. 2013年12月2日閲覧。
(六)^ sportsnavi. “世界陸上ヘルシンキ大会2005 マラソン速報︵女子︶”. 2013年12月1日閲覧。
(七)^ レッズランド. “レッズランドランニングスクール”. 2013年12月1日閲覧。
(八)^ abスポーツ・エイドジャパン﹁ランニング塾﹂の今後 NPO法人スポーツエイド・ジャパン
(九)^ やっぱり今日も走ってる. “お久しぶりです。”. 2015年7月16日閲覧。
(十)^ やっぱり今日も走ってる. “2度目のキタタン。出発まで。”. 2015年7月16日閲覧。
外部リンク[編集]
- 北島良子 - ワールドアスレティックスのプロフィール(英語)
陸上競技日本代表 - 出場大会 |
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