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河西新太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
河西 新太郎
かわにし しんたろう
誕生 (1912-05-02) 1912年5月2日
日本の旗 日本 香川県高松市
死没 (1990-09-08) 1990年9月8日(78歳没)
職業 詩人作詞家
言語 日本語
最終学歴 東洋大学 卒業
代表作 『南へ飛ぶ歌』(1942年)
『人生の四季』(1960年)
「オリーブの歌」作詞(1951年)
主な受賞歴 「亜欧連絡記録大飛行応援歌」一等入選
配偶者 河西嘉子[1]
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注釈[編集]

  1. ^ 中国新聞の1949年12月13日付1面に掲載された社告では「服部良一氏に依頼する予定」とされているが、楽譜は確認されていない。
  2. ^ 1950年(昭和25年)に制定された2代目の球団歌。1958年(昭和33年)に発表された3代目の「阪急ブレーブス団歌」とは異なる。

出典[編集]

  1. ^ a b 伊達(1992), p97
  2. ^ 香川県出身の詩人、河西新太郎の没年は?国立国会図書館・レファレンス協同データベース)
  3. ^ 笹本(1996), p43
  4. ^ 笹本(1996), p44
  5. ^ 黒島一樹. “食 オリーブ(小豆島)”. 21世紀へ残したい香川. 四国新聞社. 2021年1月21日閲覧。
  6. ^ “古関裕而作の2曲を「再発見」 当時のレコードも―愛知県豊橋市”. 時事通信社. (2020年6月15日). https://web.archive.org/web/20200615053245/https://www.jiji.com/jc/article?k=2020061500072&g=soc 2021年1月21日閲覧。 
  7. ^ 高松高校の校歌制定に生徒も積極的に関わる(高松高校東京玉翠会)

参考文献[編集]

  • 「香川の文学散歩」編集委員会『香川の文学散歩』(香川県高等学校国語教育研究会、1992年), pp97-99
伊達一成「8 河西新太郎」 全国書誌番号:93058602
  • 笹本正樹「香川県詩史」(『高松短期大学紀要』第26集、1996年), pp43-46
「六、河西新太郎の詩」

関連項目[編集]