河野鷹思
河野 鷹思︵こうの たかし、本名・河野孝[1]、1906年3月21日[1] - 1999年3月23日[1]︶は、日本のグラフィックデザイナー、エディトリアルデザイナー。愛知県立芸術大学名誉教授。日本における商業デザインの草分けの1人[1]。
生涯[編集]
東京都神田出身[1]。1929年に東京美術学校︵現・東京芸術大学︶図案科卒業[1]。同年松竹の宣伝部に入り、その後、ポスター、舞台美術、衣裳︵コスチューム︶、パッケージ、ディスプレイ、︵屋外の︶サインなど、幅広いデザインをこなした。 名取洋之助の日本工房にも参加し、雑誌NIPPONのレイアウト、グラフィックデザイン等も担当した。 1940年から1941年にかけては、日本写真工芸社に参加し、﹃VAN﹄と﹃NDI﹄という対外宣伝誌のデザインを担当した。 戦後は、日宣美︵日本宣伝美術会︶にも参加。デザイン界の重鎮として活躍を続けた。 また、妻静子とともにデザイン事務所﹁デスカ・DESKA (DESigners Kono Associates)﹈を1959年に会社組織として創設。仲條正義、福田繁雄、江嶋任、森下俊彦、日下弘らが参加した[2]。 札幌オリンピックポスター[1]、万国郵便連合100年記念切手[1]、大阪万博日本政府館の展示デザインなど[1]を手がけたほか、企業のロゴマークの制作も行う。例えば、旧第一勧業銀行のハート︵赤地に白のハート︶のロゴマークは、河野の作品である。 1983年11月には、ロイヤルソサエティ・アーツから、ロイヤルデザイナー・フォア・インダストリーに日本人として初めて選出された[1]。 教職では、女子美術大学教授︵1962年︶を経て[1]、愛知県立芸術大学で教鞭を執る。1966年講師、1968年教授、1973年客員教授、1983年12月から89年まで学長を務めた[1]。1989年愛知県立芸術大学名誉教授。 1999年死去、享年93。主要文献[編集]
- 青春図會―河野鷹思初期作品集(川畑直道編、トランスアート、2000年)(紹介)
- 名取洋之助と日本工房[1931-45](白山眞理・堀宜雄・編、岩波書店、2006年)
- 復刻版NIPPON(全3期)(金子隆一監修、国書刊行会、2002年-2005年)
主要展覧会[編集]
- 河野鷹思のグラフィック・デザイン 都会とユーモア(東京国立近代美術館・2階ギャラリー4、2005年1月12日から2月27日まで)(紹介)