浜本喜三郎
浜本 喜三郎 | |
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生誕 |
1885年5月22日 日本 京都府 |
死没 | 1956年10月14日(71歳没) |
所属組織 | 日本陸軍 |
軍歴 | 1905 - 1942, 1945 |
最終階級 | 陸軍中将 |
浜本 喜三郎︵はまもと きさぶろう、1885年︵明治18年︶5月22日 - 1956年︵昭和31年︶10月14日︶は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴[編集]
京都府出身。1905年︵明治38年︶11月、陸軍士官学校︵第18期︶を卒業。翌年6月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第9連隊付となる。1917年︵大正6年︶11月、陸軍大学校︵第29期︶を卒業した。 1918年︵大正7年︶7月、教育総監部付勤務となり、陸士教官、第18師団参謀、歩兵第77連隊大隊長、教育総監部課員などを経て、1925年︵大正14年︶12月から一年間、陸大専攻学生として学んだ。1926年︵大正15年︶12月、陸軍歩兵学校教官となり、陸軍省人事局課員を経て、1930年︵昭和5年︶8月、歩兵大佐に昇進し歩兵学校教官となる。1931年︵昭和6年︶8月、歩兵第16連隊長に就任し、陸士生徒隊長、第7師団参謀長などを歴任し、1935年︵昭和10年︶3月、陸軍少将に進級し歩兵第18旅団長となる。 1935年12月、熊本陸軍教導学校長に発令され、1938年︵昭和13年︶3月、陸軍中将に進み第3独立守備隊司令官に就任。同年11月、第104師団長に親補され日中戦争に出征し、広東攻略戦などに参加。1940年︵昭和15年︶12月、北部軍司令官となり北方の防衛に従事。1942年︵昭和17年︶8月、予備役に編入。1945年︵昭和20年︶4月に召集され、京都師管区司令官を務めた。 1947年︵昭和22年︶11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。栄典[編集]
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[2]