源親弘
表示
源親弘 | |
---|---|
時代 | 平安時代末期 |
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
改名 | 源親弘→宇野頼弘 |
別名 | 豊島権守 |
官位 | 対馬守、下野権守/下野守 |
氏族 | 大和源氏 |
父母 | 父:源頼治 |
兄弟 | 頼隆、頼賢、親弘、親通 |
子 | 親治、基親、基弘、基重、親満、伊予内侍、源義重正室ら |
源 親弘︵みなもと の ちかひろ︶は、平安時代末期の武士。中務丞・源頼治︵宇野冠者︶の子。陸奥守・源頼俊の孫にあたる。官位は対馬守、下野権守︵﹃保元物語﹄によれば下野守︶。摂津国豊島郡に住し﹁豊島権守﹂と号した。後に宇野頼弘と改名したという。
略歴
[編集]
本貫の地であった大和国宇野荘は子・親治との不和によりその弟妹に譲渡していたが、相論の末、久寿2年︵1155年︶に宣旨によって親治の知行が認められた。これにより親治は同荘を醍醐寺三宝院の勝尊に寄進し、自ら知行安泰を図っている。
子孫は大和と摂津に分かれ、それぞれ宇野氏、岑田氏、豊島氏となった。伊予国の大森氏の一族の大森彦七は親弘の玄孫と称した。