片岡義朗
片岡 義朗︵かたおか よしろう、1945年4月8日 - ︶は、日本のアニメプロデューサー、舞台プロデューサーである。
現在は株式会社コントラ代表取締役社長、アニメコンテンツビジネスのコンサルティングを行っている。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。
略歴[編集]
神奈川県立湘南高等学校を経て慶應義塾大学を卒業した1969年春、大手広告代理店の東急エージェンシーに入社。﹃UFO戦士ダイアポロン﹄﹃メカンダーロボ﹄﹃恐竜大戦争アイゼンボーグ﹄﹃恐竜戦隊コセイドン﹄﹃科学冒険隊タンサー5﹄など各TVアニメ番組に企画営業として参加。また1979年10月~ラジオ大阪で日本初のアニメファン向けラジオ番組﹃アニメトピア﹄、文化放送でも同種番組﹃アニメNOW!﹄を企画制作、ラジオというメディアの中に現在で言うところのアニラジというジャンルを芽生えさせるキッカケ的存在となった。東急エ社には約13年勤務した後、退社。その後旭通信社︵後のアサツー ディ・ケイ。以下、旭通︶に移籍。同時に子会社の日本アドシステムズ︵NAS︶の役員にも就任し、1982年よりテレビアニメの企画・プロデュースに携わり始めた。この頃手がけた[1]作品としては﹃らんぽう﹄﹃チックンタックン﹄﹃あした天気になあれ﹄﹃ハイスクール!奇面組﹄﹃ついでにとんちんかん﹄﹃ドラゴンクエスト﹄﹃姫ちゃんのリボン﹄﹃赤ずきんチャチャ﹄など、80~90年代を代表するアニメが名を連ねる。ほかにもライトソング音楽出版の役員を務めアニメ番組の音楽出版権ビジネスに着目し、おニャン子クラブのうしろゆびさされ組が歌う﹁ハイスクール!奇面組﹂の主題歌の音楽出版権を保有した。
旭通在籍時に企画・プロデュースを手掛けた主なテレビアニメは、﹃さすがの猿飛﹄﹃タッチ﹄﹃超獣機神ダンクーガ﹄﹂﹃陽あたり良好!﹄﹃キテレツ大百科﹄﹃クッキングパパ﹄﹃ムカムカパラダイス﹄﹃愛と勇気のピッグガール とんでぶーりん﹄﹃H2︵エイチ・ツー︶﹄など。後に、旭通のラジオ・テレビ企画部門の局長を務めた。
1998年にはアニマックスの創設にも関与。東映アニメーション・サンライズ・トムス・エンタテインメントとNASのアニメ制作会社4社で連合を組み、アニマックスの設立に参加し、4社で1/3の株を持った。2000年頃、アサツー ディ・ケイを退社してマーベラス音楽出版に移り、代表取締役を務めたがその後退任。2009年末まではマーベラスエンターテイメントの取締役を務めた[2]。2010年1月28日付けでニコニコ動画の運営会社ニワンゴの親会社であるドワンゴの執行役員に就任。アニメ・舞台・実写映画プロデューサーとして引き続き活躍していたが[3][4][5]、2013年10月末をもって退任した[6]。2014年9月に株式会社コントラを創業し、日本のアニメビジネスでやや手薄なビジネストレードのコンサルティングを行っている。海外との共同企画・制作や日本のアニメコンテンツの海外への販売などの交渉代行、契約締結についてが主要業務となっている。HYPER JAPAN︵イギリス最大の日本文化総合博覧会︶の顧問も務めてきた[7]。
彼の作品によるミュージカルへの影響[編集]
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
●1991年にSMAP主演ミュージカル﹃聖闘士星矢﹄をプロデュースする。この作品は現在いたるところで上演されるようになったアニメ漫画ミュージカルの起源となる[8]。
●2003年にミュージカル﹃テニスの王子様﹄を企画制作プロデュースし、2008年11月までエクゼクティブプロデューサーを務める。この﹁テニミュ﹂の大ヒットによりアニメ漫画ミュージカルというジャンルを定着させた。
●それ以前にも遊園地等で上演されるアニメミュージカルは存在したし、宝塚歌劇団の﹃ベルサイユのばら﹄のようなミュージカルも存在した。しかし、タレントファン等を対象にしたミュージカルはほとんどなかった。片岡はキャラクターを尊重するミュージカル作りを実践、原作ファンの舞台への違和感を取り除くことに成功した。キャラクタービジネスがDVDなどの映像商品化などに限定されるという認識を改める中で、劇場などのライブエンターテイメントでも漫画等が十分に通用するということを、﹃テニスの王子様﹄の成功という実績で示したことの意味は大きいだろう。
●片岡が切り開いた﹁テニミュ﹂の成功と漫画アニメミュージカルの定着により、漫画作品やアニメ作品はワンソフトマルチユースコンテンツであるという認識の一般化をもたらした。ミュージカル﹃テニスの王子様﹄はミュージカル業界に対しても大きな貢献をし、一部の専門劇団でしか観る事が出来なかったミュージカルを身近な娯楽に変化させた。話の内容や登場人物を知っているという意味で身近な題材である漫画アニメを舞台化することで、ミュージカルを観たこともない観客が劇場に足を運び、ミュージカルの楽しさ、ナマの舞台の楽しさに触れ、これをきっかけに舞台鑑賞が習慣化するという行動パターンを生み出した。
●また、﹁テニミュ﹂は若い男性タレントの登竜門の役割を果たしていることも、芸能界ではあまり見られなかった現象であり、男性タレントの供給経路に少しの変化をもたらしている[9]。