出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "玉城朝薫" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年3月) |
玉城朝薫︵たまぐすく ちょうくん、康熙23年8月2日︵1684年9月11日︶ - 雍正12年1月26日︵1734年3月1日︶︶は琉球王国の官僚、劇作家、演出家。組踊を創始した。
向氏辺土名殿内十世で唐名は向受祐︵しょうじゅゆう︶、童名を思五郎といい、尚真王の三男‥尚韶威・今帰仁王子朝典の後裔。
中国からの冊封使をもてなすために踊奉行に1718年任命された。奉行職就任後は翌年の重陽の宴にあたり初めて組踊を創作し、上演した。また歌三線にもすぐれ、湛水流を向日長・新里親方朝住に学び、それを子の向廷瑛・奥平親雲上朝喜に伝えた。
なお朝薫が創作した組踊は朝薫の五番とよばれ、﹁執心鐘入︵しゅうしんかねいり︶﹂﹁銘苅子︵めかるしぃ︶﹂﹁孝行之巻︵こうこうのまき︶﹂﹁女物狂︵おんなものぐるい︶﹂﹁二童敵討︵にどうてきうち︶﹂がそれである。
墓所は浦添市前田にある﹁玉城朝薫の墓﹂。
父‥向明禄・玉城里之子朝致の長男として生まれる︵母は真鍋︶。父が25歳という若さで亡くなったため、祖父‥向国柱・玉城親方朝恩の跡を継ぎ9歳にして玉城間切の総地頭となった。室に馬氏浦添親方良意の娘‥真加戸をむかえているが、四男三女をもうけたあと離婚。のち継室として大里間切の照屋筑登之親雲上の娘‥武樽をむかえ、計五男五女をもうけた。
●父‥向明禄・玉城里之子朝致
●母‥章氏真鍋 ︵朝薫を産んでのち家を出て、阿天麟・与儀親雲上守包に嫁ぐ︶
●室‥馬氏真加戸
●長男‥向廷瑚・玉城親雲上朝嘉
●長女‥思乙 ︵翁氏安谷屋親方盛孟に嫁ぐ︶
●次男‥朝雄 ︵向氏砂辺里之子親雲上の嗣子となる︶
●三男‥向廷瑛・奥平親雲上朝喜
●四男‥向廷璋・玉城里之子朝忠
●次女‥真鍋 ︵向氏与世川里之子親雲上朝英に嫁ぐ︶
●三女‥思乙 ︵向文源・与世山親方朝昌に嫁ぐ︶
●継室‥無系武樽
●四女‥思武太 ︵毛続熙・豊見嶺親方盛幸に嫁ぐ︶
●五女‥松金 ︵向氏越来按司朝頴に嫁ぐ︶
●五男‥向廷瓚・玉城朝常 ︵夭死につき位階称号無し︶
経歴︵月日は旧暦︶[編集]
●1684年︵康熙23︶8月2日 生まれる。
●1688年︵康熙27︶2月22日 父‥向明禄・玉城里之子朝致が亡くなる。
●1692年︵康熙31︶1月19日 祖父‥向国柱・玉城親方朝恩が亡くなる。
●1月27日 祖父の跡を継ぎ、玉城間切総地頭となる︵→玉城里主朝薫︶。
●1696年︵康熙35︶8月20日 御書院小赤頭となる。
●1698年︵康熙37︶8月8日 御書院若里之子となる。
●1703年︵康熙42︶8月16日 カタカシラを結う。
●1704年︵康熙43︶7月8日 尚氏美里王子朝禎とともに、小姓として薩摩へ上国する。
●10月24日 帰国。
●1705年︵康熙44︶5月13日 尚氏越来王子朝奇とともに、小姓として薩摩へ上国する。
●1706年︵康熙45︶1月28日 薩摩藩主 島津吉貴の上意により、軒端の梅を舞う。
●4月8日 帰国。
●11月17日 御書院当足役となり、黄冠に陞る︵→玉城親雲上朝薫︶。
●1710年︵康熙49︶7月2日 尚氏美里王子朝禎とともに、与力として上国する。
●月日不詳 島津吉貴が江戸へ赴くにあたり、毛光国・江田親雲上盛常、毛氏新城親雲上安房とともにお供することを申しつけられ、通訳の任にあてられた。またこのとき何処でも日本語を話してよいと許しを受けた。
●1711年︵康熙50︶3月22日 帰国。
●1712年︵康熙51︶7月17日 尚益王の薨去を知らせる飛脚使として上国する。
●1713年︵康熙52︶3月5日 帰国。
●1714年︵康熙53︶5月26日 尚氏与那城王子朝直、尚氏金武王子朝祐とともに、座楽主取兼通訳として上国する。
●1715年︵康熙54︶4月1日 帰国。
●5月8日 尚貞王の七年忌にあたり踊奉行となる。
●1716年︵康熙55︶12月17日 那覇港の浚渫脇奉行となる。
●1718年︵康熙57︶閏8月26日 冊封使の来琉にあたり踊奉行となる。
●1719年︵康熙58︶9月9日 重陽の宴にて組踊﹁二童敵討﹂と﹁執心鐘入﹂を上演。
●1720年︵康熙59︶5月15日 御物奉行吟味役となる。
●6月24日 那覇里主となる。
●1722年︵康熙61︶2月24日 申口方吟味日帳主取となる。
●1723年︵雍正1︶2月23日 日帳主取となる。
●6月30日 雍正帝の即位と進貢船の覆破を伝える使者として上国する。
●9月24日 帰国。
●1724年︵雍正2︶6月15日 御物奉行吟味役となる。
●1725年︵雍正3︶2月2日 御物奉行となる。
●1728年︵雍正6︶2月1日 紫冠に陞る︵→玉城親方朝薫︶。
●1729年︵雍正7︶6月27日 年頭慶賀使として上国する。
●1730年︵雍正8︶11月12日 帰国。
●1734年︵雍正12︶1月26日 死去︵享年51︶。
関連項目[編集]
●向氏辺土名殿内
外部リンク[編集]
●JCCWeb美術館