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冊封

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
冊封
中国語
繁体字 冊封
簡体字 册封
発音記号
標準中国語
漢語拼音cè fēng
朝鮮語
ハングル책봉
漢字冊封
発音記号
RR式caek bong
MR式ch'aek pong
日本語
漢字 冊封
Transcriptions
ローマ字 sakuhō
ベトナム語
ベトナム語Sắc phong
ハンノム冊封

[1]


[]


()沿[2] [3]

姿[4]

冊封体制における冊封[編集]

冊封を受けた君主は、といった宗主国の爵号を授けられ、宗主国と盟を結び、宗主国の君主の臣下となり、その支配下の国は冊封国と見なされた。

冊封国の君主に与えられる号は、普通は一定の土地あるいは民族概念と結びついており、「地域名(あるいは民族名)+爵号」という形式だった。冊封は封建制の基礎となる概念であり、封建制の場合と同様に、封じられた君主は冊封国内では基本的に自治権を有していた。同様に、冊封国内の臣下はあくまでも冊封国の君主の臣下であって、宗主国の君主の直接の臣下ではなかった(「臣下の臣下は臣下ではない」)。

ただし、冊封国の領土は冊封国のものであって、宗主国の領土ではない。この意味でも、冊封体制とは外交関係であり、宗主国を中心とする外交秩序である。

冊封国は宗主国に対して朝貢を行い、宗主国の年号暦法正朔)を使用する義務を負った。宗主国は冊封国に対して出兵その他の命令を出せたが、冊封国は攻撃を受けた場合に宗主国に支援を求める事ができた。

東アジアの冊封体制の中では、中国を宗主国とするものが最も知られている。歴史的には、そのほかにベトナム李氏朝鮮なども周辺部の政権やいわゆる「蛮夷」の国に対して冊封を行っていた。たとえば、ベトナムの広南国(阮主)時代と阮朝初期においては、萬象(ヴィエンチャン)や高棉(カンボジア)の君主を冊封していた。

関連項目[編集]

脚注[編集]



(一)^ 1141020051691-1716doi:10.24471/shigaku.114.10_1691 

(二)^ 22200413095-109doi:10.15055/00002814ISSN 09152822 

(三)^ 222004130112-119doi:10.15055/00002816ISSN 09152822 

(四)^ 222004130110-111doi:10.15055/00002815ISSN 09152822 

外部リンク[編集]