田井安曇
田井 安曇︵たい あずみ、1930年2月19日 - 2014年11月2日︶は、日本の歌人。本名、我妻 泰︵わがつま とおる︶。ペンネームの安曇は安曇野よりとっているが出身は飯山市である。クリスチャン。
来歴[編集]
長野県飯山市出身。旧制飯山中学校︵現・長野県飯山北高等学校︶、岡崎高等師範学校︵現・名古屋大学︶社会科卒業。中学校の社会科教師となる。立原道造の影響で詩作を始め、のちに短歌に専念。﹁花実﹂を経て、1950年に﹁アララギ﹂中部青年の会﹁環﹂に参加。1951年には近藤芳美を中心にして創刊された短歌雑誌﹁未来﹂の創刊に関わる。岡井隆は同じく創刊メンバーである。秋村功と歌誌﹁河﹂を編集。1988年、柳川創造らとともに﹁綱手﹂創刊。 1984年﹁経過一束﹂で第20回短歌研究賞受賞。2000年﹁田井安曇著作集﹂で島木赤彦文学賞受賞。2010年﹁千年紀地上﹂で第25回詩歌文学館賞受賞。 2014年11月2日に肺炎のため死去。84歳没[1]。主な著作[編集]
- 我妻泰歌集(1967)
- 木や旗や魚らの夜の歌った歌(1974)
- 天乱調篇(1975)
- たたかいのししむらの歌(1975)
- 水のほとり(1976)
- 右辺のマリア(1978)
- 父、信濃(1985)
- 経過一束(1990)
- 春の星(1996)
- 山口村相聞(1997)
- 千年紀地上(2009)
脚注[編集]
- ^ 歌人の田井安曇さん死去 朝日新聞 2014年11月4日