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田畑藤本︵たばたふじもと︶は、吉本興業東京本社︵東京吉本︶所属のお笑いコンビ。東京NSC13期生。2007年結成。2020年12月31日解散。解散後、2人ともピン芸人として芸人の活動は続けていたが、2022年に田畑がコンビとらふぐを結成。
メンバー[編集]
●田畑 勇一︵たばた ゆういち 本名:田畑 祐一︿読み同じ﹀ (1984-04-10) 1984年4月10日︵40歳︶ - ︶ツッコミ担当。立ち位置は向かって右。
立命館宇治高等学校[1]、立命館大学経営学部卒業[2]。
カナダの大学に1年間留学[3]。英会話能力に関してだけは相方藤本にも引けを取らないという[注 1]。綾部祐二︵ピース︶がニューヨークに渡る前に英語の家庭教師をしていた。
大学4回生の自分の誕生日に、親にお笑いをしたいと告白する。父親は﹁絶対にあかん﹂と反対。母親が﹁私は良いと思う﹂と言った。﹁両親は、最終的には認めてくれました。﹂と雑誌の取材で語っている[4]。
ソフトテニスの経験があり、京都府で1位になったこともある[3]。
2019年8月、本名の田畑祐一から田畑勇一へ改名し、活動している。
解散後、阿部直也︵元ピケ、タイガース︶とのユニット﹁とらふぐ﹂を結成。M-1グランプリ2022では準々決勝に進出した[5]。﹁とらふぐ﹂ではボケ担当に転向している。
●藤本 淳史︵ふじもと あつし (1984-04-03) 1984年4月3日︵40歳︶ - ︶ボケ担当。立ち位置は向かって左。MENSAの元会員[6]。
京都成章高等学校、東京大学工学部機械工学科卒業。
大学時代は、破壊力学に関する研究をしていた[2]。卒業論文の題目は﹁小型試験片におけるマスターカーブ破壊靱性評価法の適用性に関する研究﹂。
お笑いをやることに対して当初は親に反対されたが、今ではテレビの放送日がいつか聞いてくるようになったと、2008年7月28日付読売新聞夕刊の取材で語っている。
﹃熱血!平成教育学院﹄︵フジテレビ︶で宇治原史規︵ロザン︶のライバル・東京大学出身芸人として出場した時に、高校は特待生で入学していた事を明らかにした。
解散後の2021年7月にYouTubeチャンネル﹃街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜﹄にて、取材相手からの話の流れでADHDだと公表している。コンビ活動をしていた頃はADHDだという自覚はなかったが、相手に迷惑をかけてしまった時はひたすら謝るしか出来なくて、今考えてみるとちょっとしんどかったと振り返っている[7][8]。
経歴・概要[編集]
京都市立桂中学校の同級生として出会う。大学3年の正月に京都に帰省した時、何人かの友人がいる場で皆で盛り上がり﹁もう就職も嫌やし、お笑いやろうやー!﹂と藤本が言い、東京に戻ってから﹁あれさあ、ノリで言ったけど、おまえ、本気度どのくらい? 何%?﹂と田畑にメールしところ、田畑は最初﹁50%﹂と返信をしたが、徐々にやってみたいと思い始め、そこから話が進みコンビ結成にまで至った[4]。 藤本は大学院にも合格していたが、断ってNSCに入学した。東京NSC在学中に出場したM-1グランプリ2007では、2回戦敗退。2008では、3回戦敗退。
芸風はしゃべくり漫才。藤本が史上初の東大卒芸人[注 2]であることをアピールポイントにしており、﹁学歴だけでも覚えて帰ってください﹂をツカミとしている。初期は藤本が東大卒を鼻にかけたキャラクターの漫才が多かったが、その後は思考が論理的過ぎてネガティブになるぼやき漫才が多かった。
2020年末をもってコンビを解散。同年のM-1グランプリで1回戦を通過したものの2回戦を辞退しており、その理由を﹁こういう事︵この時既に解散を決意していた︶でした﹂としている[9]。それぞれ吉本興業に残って芸人を続け、レギュラー番組である﹃ミルベキ!﹄︵TBSテレビ︶にも2人とも2021年11月まで出演し続けていた[10]。
- ^ ただしペーパーテストなら敵わないとも述べている。
- ^ 元レム色のぐたくがそれ以前にデビューしているが、東大中退であり卒業はしていない。