神津康雄
神津 康雄︵こうづ やすお、1919年2月27日 - 2013年4月16日[1]︶は、日本の内科医。医学博士。[2]日本寮歌祭を主催する日本寮歌振興会の委員長を1964年から30年以上務めた。
経歴[編集]
長野県北佐久郡志賀村︵現、佐久市︶の豪農・神津﹁赤壁家﹂に生まれる。 旧制山形高等学校から、1944年東北帝国大学医学部卒業、同医学部内科教室︵教授・黒川利雄︶に入局。1951年、青森県浪岡町立病院︵現・青森市立浪岡病院︶院長。1954年東京都世田谷区若林に自宅開院。 日本寮歌祭には1962年に山形高校参加にあたって中心となって以来、1964年には日本寮歌振興会委員長、2002年には日本寮歌祭会長となった。 日本寮歌祭会長、日本寮歌振興会委員長、東京校歌祭会長、旧制高等学校懇話会代表、海軍櫻医会会長、日本臨床内科医会会長︵1989年就任、のち名誉会長︶、日本医師会常任理事︵1982年 - 1984年︶、東京都医師会理事、東京内科医会会長、東京都各科医会協議会会長、世田谷区医師会会長、日本の高等教育を考える会専務理事、日本病院管理教育協会理事長、東京尚仁会会長などを歴任。著書[編集]
- 「何処へ行く日本の医療」 真世界社、1978年
- 「青春の譜 ― 日本寮歌祭30年の歩み」 国書刊行会、1990年
- 「随処に主となる」 国書刊行会、2006年
脚注[編集]
(一)^ “日本寮歌振興会会長、神津康雄氏が死去”. 産経新聞. 2013年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月24日閲覧。
(二)^ 論文、﹁結核結節に於ける血管及び巨態細胞の成因に就て﹂、東北大学。博士論文書誌データベース